紅い川 2




「今日より我ら梶原の者は、源頼朝様に従う」
そう言った時、郎党たちは驚きはしたものの景時に向かって異を唱えることはしなかった。そして景時が何より驚いたことには、頼朝が彼らを前にして
「景時が余を護ってくれなくば、余の命運も石橋山にて尽きていたであろう。景時は余の恩人である」
と言ったことである。
 石橋山を突破した頼朝には、行く先々で源氏の御家人たちが合流していった。平氏である梶原氏が頼朝についたことも、頼朝の勢いを増す原因にもなっていた。同じ平氏でさえ、平家を見限っていったのだ、と。
 しかし、それでもなお、頼朝の軍勢は未だ一円の武士を束ねるほどにはなっておらず、様子を伺い中立のままの者も少なくなかった。その中でも千葉広常は多くの軍勢を従える有力御家人であり、その名は広く知られていた。
 彼が頼朝に従えば、東国はほぼ頼朝の手中におさまるだろうと思われた。

 やがて秋を迎える頃、千葉広常もまた、頼朝の下へと合流することになる。ここに、東国における頼朝の支配は決定的になった。石橋山以来、何故か景時を傍に置く頼朝は、広常と同等に景時を扱った。
 景時にはそれが不可解ではあったけれど、軍の中においては、景時は頼朝の命の恩人であり、その扱いも当然のように思われていた。
「我ら東国武士のことは、東国に住まうものにしかわからぬ。
 梶原様はそれがお分かりだったのだ。だから、頼朝様をお助けになったのだ。物の道理が分かったお方だ。
 大庭氏の軍勢を、陰陽の術でやり過ごしなさったそうだ、素晴らしい方じゃないか」
そうした褒め言葉は景時の居心地を悪くしこそすれ、気持ちを楽にするものではなかった。
 しかし、それを否定することもできなかった。頼朝自身が、景時に対して皆の前で言っていることを否定することなどできない。
「良い主を持って梶原の郎党は幸せ者よ」
そう言った頼朝の目を景時は見ている。その言葉が何を指しているのかも景時にはわかった。
 人ならざるものに喰らわれた大庭の兵たちを思い出した。そして、自分の行動次第で、自らの郎党たちが同じ目に会うであろうことも。その気になれば梶原の一族を喰らうことなど、たやすいことだろう。
 陰陽術を半端に身につけた程度の景時には、あれを感じることはできたとしても、一人で戦うことなど出来ない。
 頼朝の傍らで、源氏の功労者として勤めながら景時の心には暗雲が立ち込めていた。


 
   千葉広常は多くの御家人を従える東国の実力者で、それに相応しく豪胆な人物であった。その彼でさえ、頼朝の王者としての風格の前には知らず膝を折り、潔く配下へ下った。
 その頃には頼朝の腹心として扱われていた景時は、近く広常とも接することになる。東国の武士らしい豪快な広常は、まだ若い景時を、機を見るに敏な有能な若者として年長者らしい思いやりを以って接してくれた。
「そなたが梶原景時殿か。噂は聞き及んでおる。石橋山で活躍されたそうだな。
 平氏を裏切ったと謗る者もいようが、そなたは東国武士のためになることをなさったのだ、誇りに思って良い」
それが広常から景時にかけられた最初の言葉だった。広常の思いやりが感じられる言葉ではあったが、景時には苦い。
 それが表情に少し出たのだろう、訝しげな顔を広常はした。すぐに景時はその表情を消し、いつもの顔をする。
「こちらこそ、上総介殿の武名はよく聞き及んでおります。
 源氏に加わっていただいて心強く皆思っておりましょう」
笑顔を作るのは慣れたものだ。どういう表情をすれば相手が安心するかも良くわかっている。そして、石橋山以来、自分がどんな表情をして何を口にしているか、ずっと見て居る視線を感じる。
 だから、見ている者が好むであろう台詞を笑顔で口にする。演じる。しかし、広常はそんな景時の笑顔を見て苦笑した。
「……梶原殿は、なかなかに食えぬ方であるようだ」
見抜かれたような気がして景時は押し黙る。しかし、それ以上何を言うでもなく、広常はその場を離れていった。その後、何事もなかったように広常は景時とも接してきた。
 頼朝に付き従い、東国の平氏と戦い地盤を固めて行く間、自然と腹心とされる景時と広常は軍議に評定にと顔を合わすことも多くなる。人をまとめるのが上手く経験も豊かな広常は、そうした場の中心となることも多かった。時には頼朝に意見をする場面さえあった。
 景時は求められることがなければ、特に自ら口を開こうとはしなかったが、頼朝も広常も時に景時に意見を求めた。なるべく戦いを避けたくて(あのまがまがしいものが出てくることを怖れる気持ちもあった)時に奇抜にも思える計略を考える景時は、何時の間にか『知略に優れた人物』というレッテルまで貼られていた。
 必要に迫られ悪あがきをしているだけなのに、それが他から見ればそう見えるというのが景時には不思議で、なんと言われようとも、まるで他人のことを言われているように白々しく感じられた。


 
   この頃、源氏軍を更に盛り上げる出来事が起こる。それが、頼朝の弟である九郎義経の合流だった。あの頼朝の弟である、景時は当初非常に警戒をしていた。彼もまた、何かが憑いた存在だろうかと思ったのだ。
 だが、頼朝に目通りをした青年は、頼朝と正反対の純粋で真っ直ぐな人間だった。兄との再会に涙ぐみ、感動のあまりに声を震わせる。
 景時はその場に居合わせていたが、ただ純粋にこの九郎という青年に好意を抱いた。そして、頼朝の酷薄な一面を彼が知れば悲しむだろうかと、残念に感じた。
 その日、源氏の御曹司が二人揃ったということで、将たちも祝いの席が設けられた。その場で景時と九郎は挨拶を交わし、思ったとおりの人の好さを景時は九郎に感じたのだった。そして、それが変に苦しくて、祝いの席の端で一人で酒を舐めていた。そこへ素焼きの瓶に入った酒を片手にやってきたのが広常である。
「梶原殿、今日はえらく静かではないか」
既にしたたかに飲んだのであろう、赤い顔でにこにこと満面に笑みを浮かべ、景時の傍らに腰を下ろす。
「そ、そんなことはありません。飲んでおります、飲んでおります」
「まこと! 源氏の御曹司がお二人揃って、これでますます勢いがつく! 東国から新しい時代が始まる
 これが目出度いといわずになんとしようぞ、なあ、梶原殿!」
感慨深く遠くを見つめるような表情で広常はそう言った。京から低く扱われ続けてきた東国武士にとって、この地で新しい時代を開こうとしている頼朝はまさに英雄だった。しかも、それが血筋正しい源氏の嫡流なのだ。誇りをもって彼は頼朝に仕えているだろう。
 自分と引き比べて景時はますます暗い気分にならざるを得なかった。たとえ人ならざる負の力を用いたものであれ、人々が望むものであれば、頼朝のやり方は間違いではないのだろうか。
 新しい世を作るということは、そういうことなのだろうか。違うという気持ちも、それは必要悪なのだという気持ちも景時の中にはあり、ただ、頼朝でなければ東国に新しい時代を築くことはできぬだろうということだけがはっきりとした確信をもって感じられるものだった。
 だからこそ、広常の言葉が景時には苦く、そして何処か哀しかった。
「梶原殿は、平氏でありながら何ゆえ頼朝殿を石橋山でお助けになったのか」
遠くを眺めているようだった視線を景時へ向けて、広常が語りかけてくる。突然の問いに景時は言葉に詰まった。
「…………このお方こそ、東国をまとめてくださる方だと……」
本当にそう思って仕えているのなら、どれほど楽であっただろう。
 嘘を吐くことばかりが上手くなる。そんなことを思いながら景時はそう言葉を続けた。広常は嬉しげに頷く。
「まことに、まことに。梶原殿、そなた、若いが世を見渡す目がある。頼朝様もそうであろうがこの広常も、そなたを買っておる」
意外な言葉に景時は俯いた。そんな風に言ってもらえるような人間ではないことを、誰より自分が知っている。だが、そんな景時の表情に気付いたか広常が景時の杯に酒を注いだ。
「梶原殿は不思議な方よ。大胆にして豪胆かと思えば、凪の海より静かで、まことにつかみ所がない。
 京で長く過ごされたというが、その不可思議さが京風なのであろうか?」
揶揄されているのかと、顔を上げるが広常の表情は先と変わらず笑顔のままだった。力強い大きな手が景時の背中を叩く。
「梶原殿! 頼りにしておるぞ、ともに頼朝様のために励もうではないか。
 東国の時代を作ろうではないか」
たとえ、何を知っているとしても、自分もこのように一心に頼朝に心酔し仕えることができたなら、どれほどに幸せであろうか。だが、常に感じる視線が、そして石橋山で見た紅い川が、生臭い匂いが、景時を放してはくれなかった。
 それでも、いつもの笑顔で景時は広常に向かって頷き返す。その表情を眺めて上機嫌のまま、広常は言葉を続けた。
「梶原殿は京にお住まいだったと聞く。碁や将棋を嗜んでおられるであろう、今度是非、一手、ご指南いただきたいものよ。
 わが屋敷においでくだされ」
「いえ、私などは嗜むなどとは程遠く……」
突然の意外な申し出に慌てる景時を、面白そうに広常は見つめて微笑んだ。一瞬剥がれ落ちた景時の笑顔に満足したかのように。そして
「ははは、良いではござらぬか、是非お手合わせくだされ」
と豪快に笑い、その場を立ったのである。

 その後、平氏の東国での反撃は続いたが勢いは頼朝に傾き、頼朝は東国の武士を従え鎌倉に入った。鎌倉の町は整備され、頼朝に従う御家人たちは領地と鎌倉とに屋敷を設け、実質東国の中心は鎌倉になった。
 この地を固めた後はいよいよ京へ向けて進軍を始めるであろうと、兵たちの意気も上がり続ける。
 景時も鎌倉に邸を作り、母と妹と共に住まうようになっていた。妹の朔は利発なしっかり者で、当主である景時が戦で邸を不在にする間も母と共に邸を切り盛りしていた。
 鎌倉の邸では、景時は相変わらず嫌な視線を感じてはいたが、家族を鎌倉へ呼び寄せぬわけにはいかなかった。頼朝がそう望んでいたからである。
 母も妹も、そうと気付くことはないようで、それに安心もし、また不安もあった。もし、母や妹が頼朝への不信を何気なく邸で口にしたら? 戦への不安を口にしたら? 景時は邸で頼朝の偉大さを語りこそすれ、その他のことを話すことはなくなった。
『本当に頼朝様は凄いお方なんだ。オレなんてホントに、足元にも及ばないっていうか、一緒に考えること自体間違っているっていうか、ほーんと、いっつも叱られてばっかだよ〜』道化て言うと、朔は『もう! 兄上はどうしていつもそんな覇気がなくていらっしゃるの! 頼朝様に認めていただけるようにもっと頑張りなさいませ!』と叱咤する。
 そして、景時は安心するのだ。
 その日、景時は久しぶりに鎌倉の邸に戻った。

「は〜……ただいまっと。久しぶりに帰れたよ〜」

情けない声を挙げて邸に上がると常とは違う空気が邸の中に漂っていることに気付いた。いつもの、あの視線の嫌な感じとは違う……清浄で高い神気を感じさせるもの。
「兄上! お帰りなさいませ」
朔が邸の奥から景時を出迎えに現れる。その姿を見て景時は目には見えない変化を感じた。朔は、年の割にはしっかりとしていたが、それでも普通の少女だった。だが、今の朔に漂う『気』は、只人のそれではない。
「……朔?」
思わずそう呟いた景時に、朔はその様子がおかしいのに気付いたのかどうかはわからなかったが、少し言い辛そうに言葉を続ける。
「あの、兄上。実は、兄上にご相談したいことがあるんですの。
 兄上のお留守中に申し訳ないとは思いましたけれど、実は客人をお迎えしておりますの。
 その……京から落ち延びていらした貴人の方で……兄上にお会いしていただきたいんです」
そう言う朔の頬がほんのりと上気して、俯き加減の表情が突然に大人びて見えたのは気のせいではないだろう。それにしても妹に何が起こったのか、景時は理解できず不安な心持ちのまま、黙って朔の後に続いた。
 京からの貴人? 京でも平氏に対する反発が強まり、それを制圧するために兵を出していると聞いている。平氏に疎まれ、戦火を避けての東国落ちなのだろうか。
 ぼんやりとそんなことを考えていた景時はその貴人がいるという部屋へ朔に案内され、部屋の外で礼を失せぬように平伏する。
「この邸の主、梶原平三景時にございます」
「世話になり、申し訳ない」
静かなその声に顔を上げ、京の貴人だと朔が言った人物を見たとき、景時は直感的にそれが嘘だと感じた。
 邸に満ちていた常と違う清浄なる気は、紛うことなく目の前のこの人物から発せられている。それは、人のものではなく、まさしく神のもの……それに朔は気付いているのだろうか? 傍らの朔に目をやると、その瞳は一心に貴人へと注がれていた。
「兄上、黒龍は鎌倉で頼りになる方がいないそうなのです。しばらく邸に留まってもらっても構いませんでしょう?」
そんな朔を、黒龍は静かに優しい眼差しで見つめていて、景時ならずとも二人の間の絆をそれだけで感じ取ることができただろう。
 それでも目の前の人物をどう受け止めてよいのか決断できず、景時はしばし逡巡した。その様子に黒龍が朔に声をかける。
「朔、景時と二人で話をしたい」
意外そうな顔をした朔だったが、その言葉に大人しく部屋を辞していった。二人きりになったところで、黒龍が何かを言おうとする様子もなく、景時が訝しげにその顔を見つめると、少々皮肉っぽい笑みを浮かべた黒龍がやっと口を開いた。
「私に尋ねたいことがあるのだろう?」
年若い青年の姿の黒龍に、景時は気圧されていた。それでも朔のことがあり、重い口を開く。
「……君は、人じゃないよね?」
殊更にぞんざいな口調を選んだのは、相手を試したかったからかもしれない。そんなことはお見通しなのか、黒龍は相変わらずの笑みを浮かべたまま、頷いた。
「私は黒龍だ。そして、朔を我が神子に選んだ。景時は知っているはずだ、応龍と、それぞれの龍に選ばれし神子の話を」
そう言われて、昔、京に居た頃に書物で調べ読んだ龍神の神子の話を思い出す。
 京に危機が訪れるとき、白龍と黒龍が各々の神子を選び、穢れを祓い京を救う、と。だが、それは京の話で鎌倉の話ではないはずだ。
 それでも、目の前の黒龍の姿と発する気は、それが嘘ではないという証拠に思えた。
「朔が……黒龍の神子……」
驚くというよりも、何故、という気持ちの方が強かった。何故、朔が、なのか。異世界から呼ばれ怨霊という穢れを封印する力を持つ白龍の神子と違い、黒龍の神子についての伝承はあまり多くは残されていない。
 だが、怨霊を鎮める力を持ち、怨霊の声を聞くことができるとあった。それよりも肝心なことに景時は気付いて黒龍を見る。
「……黒龍が神子を選ぶということは……京に危機が訪れているのか?」
それは、もしかして頼朝の持つ力のせいなのか。もし、そうだとしたなら……
「京だけではない、広く東国も西国も広く気が乱れ穢れが広がるだろう。
 だが、それは、景時、お前が恐れ心配するもののせいではない、直接は」
黒龍は景時の考えを読んだかのようにそう答えた。その答えに景時は安心してよいのか、悪いのか、結局決められない。何かが起ころうとしていて、そして、それは否応なく景時に関わろうとしている。望まぬ方向へ流れていく川を、景時にはせき止める術がない。
「……朔を、どうするつもり、かな」
それだけは聞いておかねばならぬというように、景時は黒龍に尋ねた。
「……朔は私の神子だ。どうするつもりもない」
「でも、神子にはやるべき勤めがあるのではないのかな」
「朔が選ぶ」
「朔が選んだら、どうなるのかな」
朔は黒龍の望むものを選ぶだろう。それは朔が神子だからではなく……
「京へ上る。そして京の五行を正し気を整えねばならない」
景時は黙った。それが何を意味するのか、そうなったとき朔はどうなるのか、黒龍に尋ねれば明確に答えは返ってくるのだろうか? 溜息をついて景時は頭をかいた。
「はあ〜……困っちゃうな。オレの頭じゃ考えきれないよ。
 でもさ……朔を神子に選んだってことは、黒龍は朔を守ってくれるよね……オレが守るよりずっと頼りになるかもねえ」
事実、黒龍がいることで、いつもの嫌な視線の気配が薄くて遠い。黒龍はその景時の言葉に頷きはしたが明確に返事はしなかった。その曖昧さが何を意味するのかは、まだ景時は知らない。だから、よっこらしょ、と立ち上がった景時は笑って黒龍に向かって言った。
「朔を、よろしくね。龍神さまだから大丈夫だと思うけど。
 何かオレに出来ることがあれば……ってたいしたことはできないけど」
どこか疲れたような笑い声をあげた景時に黒龍は静かに言う。
「たいしたことができないと思う間は何もできない。景時はもっと自分を知った方がいい。
 お前が守らねばならないもののために」
龍神さまでも、わからないものがあるらしい、と景時は情けない笑みを浮かべた。生まれてこの方、何か成し遂げたこともない人間が、いったい何を為せるのか。わかりすぎるほど、自分は、自分のことを知っている。
 突然のことに、頭が整理しきれなかった景時は邸を出て浜へ向かうことにした。門を出るときに庭で仲睦まじく寄り添って語り合う朔と黒龍が見えた。

 由比ヶ浜は夕陽に波が照らされて揺れていた。波頭が紅くに染まりながらも遠い沖は青黒い夜の色に染まりかけている。石橋山以来、紅い色は景時に血を連想させ、かつては美しいと眺めた夕陽にさえも目を閉じてしまうようになっていた。
 目を閉じれば世界は黒い闇に呑まれてしまうけれど、それでも血の赤に染まるよりマシだと思えたから。
「梶原殿」
声をかけられ景時は目を開ける。広常が従者もつけずに浜を歩いていた。従者を連れていないのは景時も同じではあったが、景時と広常では立場も異なる。
 景時はあくまで頼朝の腹心の部下と目されていたが、広常は形こそ頼朝の部下となってはいたが、その影響力は頼朝と匹敵すると思われていたのだから。
「しばらくは鎌倉にてお互いゆっくりできそうですな。また、将棋を指しに来られぬか?」
大らかな笑顔で広常が語りかけてくる。
「私はどうも筋が悪くて、広常殿の相手には力不足でございましょうから……」
「私がご指南して進ぜよう、それとも将棋はお好きではないですかな?
 実際の戦では機略を張り巡らせる梶原殿が、一手指すのが苦手なのは面白うござるな」
いやあ、と情けない様子で景時は頭をかいた。
「私なぞ、広常殿に指南していただいても、モノになるかどうか……」
「梶原殿は勝とうと思うて指しておられぬであろう。それでは勝つことはできぬよ。
 戦は殺さぬように、死なせぬように、で勝つことができよう時もあろうが……」
どきりとして景時は広常を見つめた。思わず、いつもの笑顔が消えていた。にこり、と笑いかけられ慌てて、軽薄な笑顔を形作る。
「いやあ、勝とうと思って指しておりますよ、私の筋が悪いだけで」
気付かぬ振りでそうとだけ答える。広常が何故、多くの東国武士に慕われ力を持つに至ったのかが良くわかった。良くわかって、そして、恐ろしくなった。
 邸から離れたこの浜で、景時はまた、虚空から自分を見つめる視線に気付いていたからだ。何処まで見抜いているのだろう、何を言いたいのだろう、どうしたいのだろう。自分に関わらないで欲しいと、そう願った。
 暴かれてはならないものがある。もうあのように誰かが喰らわれる姿を見たくない。
「何を恐れておられるのか。何ぞ……」
「な、何も! 何もそのようなことはございません。
 ああ、もう、遅くなりますので屋敷の者が心配しましょう、これにて失礼いたします!」
最後まで言葉を聞かず、景時は踵を返して走るように浜を歩き出した。その背に広常の声が届く。
「梶原殿! 是非また将棋を指しに来なされ! 我が邸なら遠慮もなく話もできましょうぞ」
無理だ無理だ無理だ……その声に心の中で景時は何度も繰り返した。広常は何処まで何を知っている、感づいているのか? だが、広常の邸でさえ、きっとおそらく見られているだろう。姿の見えぬモノにこの鎌倉は支配されている。
 いや、頼朝は最初から、そのためにこの街を作ったのではないだろうか? 夕焼けはもう空の端を僅かに染めるのみで夜の闇が広がりつつあった。血の色の後には闇夜がやってくる。
 血の色さえも隠す闇夜が来る。いっそ早くそうなればいいとさえ思いながら、景時は暗い道を邸へ向かい歩いていった。

[続]






いやあ、もう色々捏造しまくりですみません(-"-;;)
九郎たちともこの頃鎌倉で出会った設定となっております。
九郎との出会い話はまた別なときに(^^;)
いやしかし、広常のキャラがようわからんようになってしまっている……


■ BACK ■ NEXT ■ 遙かなる時空の中で ■ 銀月館 ■ TOP ■