■トライアングル■ By.森生
緑の草原を渡る風が優しく頬を撫でていく。
遙か地平線を眺めていると、傍らの友とともにかつて夢を語り合った幼き日を思い出す。
「もう、傷はいいのか?」
そう尋ねたのは、金の髪を風になぶられるままに遊ばせる青年。友を振り返ることもなく、ただこともなげにそう口にした。
「ああ。」
短く答えたのは、黒髪の青年。鍛えられた身体が傍目にもそれとよくわかる。
「体力だけはありそうだからな、お前ときたら」
無感動な調子でそう返す金髪の青年は、しかしそう言ったまま黙り込む。
しばらく沈黙が二人の間を通り過ぎ、口を開いたのは黒髪の青年の方だった。
「お前には、世話をかけたな」
その言葉に、金髪の青年は肩を竦める。
「お前のためじゃないさ。彼女が泣きそうになって頼むからだ。」
「そうか」
そうしてまた、沈黙。二人が見つめる空は、「彼女」の元へ続く空だった。
初めて出会った幼い時から、長く友人として過ごしてきたけれども、ここ数年は互いに話をすることは少なくなっていた。おそらくは、幼かったあの日から互いに大きく変わりすぎていたのだろう。最早そのまま、すれ違うこともなく交わることもなく、互いの人生を歩んでいくのだろうと思われていたころ、もう一度彼らを引きよせる存在が現れた。
それが「彼女」だった。
「お前には、借りを作りたくなかったな」
黒髪の青年が溜息混じりに苦笑しながらそう言うと、金髪の青年が口元にそれが癖の少し皮肉っぽい微笑を浮かべながら答える。
「そうだろうと思ったから彼女の頼みを引き受けたんだ」
無邪気だったころから、互いに変わってしまった。あのころのようには互いに語り合うことはできない。だが、今の関係も居心地の悪いものではない。無防備に自分をさらすことができたあのころとは違い、互いに心を見せるのが下手になっていた。だが、それとわかる間柄であったから、妙に気を使うことなく自然でいられた。
ふ、と金髪の青年が笑みを漏らす。それを不思議そうに黒髪の青年が見とがめた。
「お前と、こんな風に話をすることがあるとは思いもしなかったな。
互いに、もう、すれ違うことなどないと思っていた」
多くのことが二人の上を通り過ぎ、立場も生きる場も大きく離れたものと思われていた。
「そうだな」
黒髪の青年の短い答には、しかし、いささかの感慨が込められているようであった。
「彼女には、多くの意味で感謝をしなくてはならないのかもしれんな」
相変わらず、どこか皮肉っぽい調子の金髪の青年の言葉に、やはり少し訝しげに黒髪の青年がその顔を見つめる。ずっと地平線を見つめていた金髪の青年は、やっと黒髪の青年の顔を見返し、苦笑しながら答えた。
「お前と、こんな風に話をするのも悪くはない、ということだ」
黒髪の青年が少なからず驚いた顔をしてみせたので、金髪の青年は面白そうに笑った。期待を裏切る意外性。素顔を見せるのを嫌うようになってから身につけた性格だ。だが、今はそれもまぎれもない自分自身なのだと認めることができた。そして、そういう自分も悪くないと思っている。
「・・・そうか」
困惑したような表情の黒髪の青年が、そう答えるのを金髪の青年はやはり、面白そうに笑いながら見ていた。そうして、再び視線を遙か地平線へと戻すと
「お前のことだけじゃないぞ。
人生・・・というか、生きていくこと、それ自体、そう悪いものでもないと
そういうことだ」
と言った。それから、少し真面目な声音になって続ける。
「お前は? お前はどうなんだ、レイヴ。
お前は、まだ、死にたいのか?」
そう問われた黒髪の青年は、しばらくの沈黙の後に静かに答えた。
「・・・いや・・・死にたいとは思わないが・・
お前ほどに楽観的にはまだ、なれん・・・
だが、生きていくことの意味は掴めそうな気がする」
「そうか。
相変わらず、お堅いことだが、少しは前に進んだということかな」
「・・・そう、言えるだろうな」
互いに、そのとき心に思っていたのは、「彼女」と「かつての友」のこと。
言葉にすることなく、それでも互いに考えていることは推察できた。
地平線を見つめていた金髪の青年が、ふと微笑みを漏らす。
「? どうか、したか?」
黒髪の青年が問うのに、金髪の青年は遙か地平に近い空を指さした。黒髪の青年はその指の示す先を視線で追う。小さな光が空から降りてくるのが見えた。黒髪の青年の頬にも穏やかな微笑みが宿る。
「私とお前と、どちらに用事があるのだろうな?」
金髪の青年が挑発するようにそう問うのに、黒髪の青年は
「さあな」
と答えた。
互いに顔を見合わせ、そうして苦笑すると、彼らは再び空を見つめた。その瞳が見つめるものは空から降りてくる光。そして、その光の中には「彼女」がいる。
近づいてくる光を見つめながら、彼らは訪れる彼女を迎える言葉を心の中で探していた。