■鈴の音■ SEPIAさま
地上界インフォスを救うために、天使によって選び出された勇者たち。
その勇者の一人シーヴァス・フォルクガングは、地上界を救うと言う目的のために天使と時間を共有するうちに、彼女に対して深い恋愛感情を抱くようになっていった。
そして、彼女に想いを伝え、世界に平和が戻った後も地上に残って欲しいと口にしたのは、まだほんの数日前のことである。
彼女は地上に残る、そう出来るように努力すると言って、シーヴァスに応えた。自分の想いもまた、彼と同じものであるのだと。
彼女の言葉を思い起こしながら、今日もシーヴァスは災いの源を絶やすために、旅の歩を進めている。本当なら、これからはもうずっと彼女と共に居たいところなのだが、自分のほかにも勇者を導く彼女を、必要以上に引き留めるわけにはいかない。
仕方のないことだとは思いつつも、ため息をついて空を見上げる。いつも彼女はそこから舞い降りてくる。いつの頃からか、空を見上げることがすっかり癖になってしまった気がする。
そうして見上げた空に、見慣れた白い翼が見てとれた。 徐々に近付いてくる翼に、シーヴァスの顔がほころぶ。
「レティシア」
声が届きそうなところまで翼の主がやって来たところで、シーヴァスはその名を呼んだ。彼の心を捕らえて一時も離さない天使の名。掛けられた声に微笑み、シーヴァスの目の前に舞い降りると、彼女の美しい銀の髪が光の軌跡を描いてふわりと肩にかかる。
「こんにちは、シーヴァス。変わったことは、ありませんか?」
特に変わったことはないと答えて、レティシアに問い返した。
「それより、何か用があって来たのではないのか?」
途端にレティシアの顔に赤みがさし、彼女の声は途切れがちのものとなる。
「あ・・・いえ、あの、ただ様子を伺いに・・・」
普段の、『天使』としての清冽なイメージを与える彼女とは全く別の表情に、たまらなく愛しさを感じる。こういう時には、会いたかったと言うべきだと口にしそうになるが、冗談や茶化しで言ってると思われて彼女の機嫌を損ねたくはない。
とりあえずせっかくの事だから、目的地に向かいながらでも、共に時間を過ごすことを楽しんでいたい。
「レティシア、もし他に用がなければ・・・」
シーヴァスが言いかけた言葉に、レティシアの何か思い出したような声が重なった。
あ、と呟いて、どうしようかと迷っているように見える。
「何だ?他にも用があったのか?」
なるべく残念がっているようには見えないように、と思いながらも不満のある声で尋ねるシーヴァスに、レティシアが慌てて取り繕おうとする。
「あ・・・いえ。他に用がある、というわけではないんですけど・・・」
その言葉には続きがありそうである。
気になる。
「けど、何だ?」
レティシアは言いにくそうにして、もじもじとシーヴァスの顔を見ている。どうやら、シーヴァスに関係することで言いよどんでいるようではあるのだが、その内容はさっぱり想像が付かない。自然とシーヴァスの表情も訝しんだものとなる。
一体何だ、と口を開きかけたところを、レティシアが意を決したように口を開いた。
「あの、シーヴァスは、鈴は好きですか?」
「鈴?」
レティシアの言いたいことが分からず、聞き返すが、レティシアはそうだとうなずいただけである。
「好きも嫌いも、別段鈴に関して考えたことはないが」
答えてやると、レティシアはさらに言いにくそうにしながらも、もう一つ尋ねてきた。
「でも・・・鈴を首につける。なんて、嫌・・・ですよね?」
ますます彼女の言いたいことが分からなくなってくる。
「私に猫の真似でもしろと言うのか?」
別にレティシアはそうまで言っていないのだが、シーヴァスの声からは呆れている様子がありありとうかがえる。レティシアはそれに上手く答えることが出来ずに、少し困ってしまった。
シーヴァスはため息をつくと気を取り直して、何故こんなことを聞かれているのかレティシアに問い正してみた。
すると、そもそもの発端は、レイヴであったらしい。
シーヴァスとこの天使の間で交わされた約束について妖精から聞き及んでいたレイヴは、数日前にレティシアが彼の元を訪れた際に会話の中でシーヴァスの女性関係に触れ、今のうちにでもシーヴァスの首に鈴でも付けておけ、と言ったのだそうだ。
はあ、と思わずシーヴァスの口からため息が漏れる。
呆れているのだ。
「で、君はその言葉を馬鹿正直に受け取って、鈴を持って来たという訳か」
言いながらこめかみを押さえる。
「あ、いえ、鈴は・・・」
「持って来た訳ではないのか」
「いえ・・・持っては、来たんです。その・・・シェリーが用意してくれて・・・」
その答えには、呆れに呆れが重なって疲れさえ感じる。
さらに詳しく聞いてみれば、ベテル宮に戻った際にレイヴとのやり取りをシェリーに話したところ、シェリーはレイヴの言葉に深くうなずいたというのだ。そしてご丁寧にもいくつかの鈴を用意して、天使に選ばせたらしい。
シーヴァスという人間が、少なくともシェリーとレイヴの二人にどう思われているのかがよく分かる話、ではある。そうではあるとしても、それを聞かされたシーヴァス本人としては、あまりいい気がするはずもない。しかも、鈴をここまで持って来たということは、レティシア本人にもその二人と同じような目で見られているのかと考えたくなる。
まあ、これまでの経緯を考えると、仕方がないといえば仕方がないのかもしれない。
とは言え、さすがに思いに思い詰めた告白の後に、しかも想いに応じてくれたはずの相手が、レイヴとシェリー二人の言葉に乗って動くというのは、単にこの天使がシェリーの勢いに逆らえなかっただけにしても、かなり手痛いものがある。
怒涛のごとき身辺整理計画が胸の内を流れていく。
「・・・あの、シーヴァス」
黙りこんでしまったシーヴァスに声を掛けると、暗い目がレティシアに向けられた。
その表情の意味をレティシアは、やはり鈴を首になんていう真似は嫌なのだな、と受け取った。シェリーの勢いに押されたとはいえ、シーヴァスを信頼してないかのような振る舞いを、結果取ってしまったことも反省される。
「すみません、シーヴァス。変なことを言ってしまって。鈴は持って帰りますから」
そう言ってレティシアが謝ってから、シーヴァスは先程の話のある部分に気がついた。
「いや、さっき君はその鈴は君が選んだと言ったな?」
「え?はい、シェリーがいくつか用意してくれたので、その一つを紐に通したんですけど」
改めてそう聞いて気が変わったらしく、その鈴を見せてくれとレティシアに言ってきた。
レティシアが不思議そうな顔をしながら取り出した鈴を受け取ると、シーヴァスはその鈴に自然と目が吸い寄せられるようだった。
ごくごく小さな銀の鈴が、これもまた随分と細い銀の紐に通っている。
まるでレティシアのようだと思われる。
「・・・やはり、もらっておくことにしよう」
目を細めて、静かにそう言ったシーヴァスに、レティシアは驚いて聞き返した。
「え・・・首につけるんですか」
的の外れた問いに苦笑する。
「まさか。君が側に居てくれない時のために、お守り代わりにもらっておきたいのさ。もちろん、首につけたりはしないがな。そうだな・・・手首にでも巻いておこう」
そういうことなら、とうなずくレティシアに笑顔を向けて、シーヴァスは一つの提案を持ち出した。
「ところで、レティシア」
「はい」
「この鈴に祝福をもらえないか」
「祝福・・・ですか」
シーヴァスがお守り代わりに、と言った鈴である。こう言われるとただの鈴のままでは申し訳ないような気もする。
それでは、と彼の手から鈴を受け取ろうとすると、シーヴァスは、分かっていないなとばかりに含みのある笑みを向けてきた。
「私が欲しい祝福というのは、君の口接けのことだが」
一瞬間を置いて、レティシアの頬が朱に染まる。
「で、でも、それは・・・」
レティシアの慌てようは、まるで鈴にではなくシーヴァスに口接けるようにと言われたかのようである。
「鈴に、だ。別に構わないと思うが?」
落ち着き払った声で言われては、レティシアもあまり騒ぐことが出来ない。そう、口接けるのはあくまでも、鈴に、なのである。
落ち着き直して、改めて受け取った鈴にゆっくりと口接ける。もちろん、レティシアに出来る限りの祝福も込めて。
そして鈴を改めて受け取ったシーヴァスは、しばし鈴を見ていたかと思うと、鈴を唇に近づけると、微かに触れ合わせた。
「確かに、受け取らせて頂いた」
そう言ってシーヴァスがレティシアに向き直るまでの間に、彼女の顔は赤く染まりきっていた。シーヴァスと目があうと、慌てて空に浮かび上がる。
「あの、すみませんが、用を思い出しました。また来ますから」
必死な様子で、それだけを言い残すと天の高みへと昇っていく彼女の様子を、シーヴァスは目を細めて見送った。
レティシアの姿が見えなくなってから、細い銀の紐を手首に巻き付け、結び目にそっと口接ける。
そして少しの間、微かに零れる淡い笑みで鈴を見つめていたが、そのうちに再び目的地に向かうことにした。
そこにたどり着く頃には、彼の元へ戻って来るであろう天使を思いながら。