彼女が空の彼方へと消えたのを見届けた彼はため息をつく。
(戻ってきてくれるのだろう……)
そして彼女と過ごした日々に想いをはせる。
(これが天使かと思った程だったな……)
人の子である彼が天使としてやっていけるのかと心配したくらい
彼女は『人が(自分勝手に)想像している』天使とはあまりにも
かけ離れていた。何をするにも、万事おっとりとして、彼を驚かせた。
いつもふわふわとして、地に足がついていないような様子。それが
彼の抱いた彼女の印象であった。そして、彼女は『いつも夢を
見ている少女』のようだった。誰をも魅了するその微笑みは、
やさしく、そしてある意味、儚げな微笑み。そんな彼女だから、
彼は彼女を天使としてではなく、何があってもどんなことをしても
守るべき一人の女性として見るようになっていた。
(早く戻ってきてくれ……)
「ガブリエル様、ただいま戻りました」
「幼き天使よ、よくこの大任を果たしてくれましたね……」
大天使ガブリエルは、自分の目の前にいる幼い天使をねぎらう。
「貴女のお陰でインフォスの崩壊は免れました。本当に
ご苦労様でした」
「いえ……私は何も……勇者の方々が頑張って下さったのです」
控えめなそのことばにガブリエルは微笑する。
「でも、その彼らを導いたのは貴女ですよ。さて、幼き天使、
貴女はこれでインフォスの守護の任を解かれます。そして、
これから貴女に相応しい任を受けることになるでしょう。それまで
しばらくお休みなさい」
あまりにも想像通りのガブリエルのことば。
(インフォスの任を解かれる……インフォスを垣間見ることさえ
許されなくなるということですね……それは……)
「ガブリエル様……」
そのためらいがちな呼びかけに隠された想いをガブリエルは察する。
「どうしたのですか?何か私に言いたいことでもあるのですか?」
「はい……ガブリエル様……」
許されないかもしれないと思う彼女のことばはとぎれがちになる。
「もし……許されるのであれば……人として地上に降りることを……
お許し下さい……」
そんな彼女の瞳から涙がこぼれる。
「人として……それがどういう意味を持つか貴女はわかっているの
ですか?人として地上に降りるということは、定められた命を
持つということです。その命はとても短く、天使のように永遠の命を
与えられているわけではないのですよ。それでもいいのですか?」
あくまでもガブリエルのことばはやさしい。
「はい……ガブリエル様。インフォスを守護していてわかったのです。
いえ……わかったのは、堕天使ガープを勇者が……彼が……滅ぼした
後です……定められた命だからこそ、短い一生だからこそ、その生を
懸命に生きるからこそ、堕天使にも打ち勝つことが出来たのだと……」
「それだけではないのでしょう?地上に降りたいというのは……
天使としてではなく、一人の女性として知ったこともあるのでしょう?」
「はい……天使として私は知識として知っていました。でも、彼と
出会って、人を愛するということがどういうことかわかったのです。
彼の側にいたいのです。どうか……お許し下さい、ガブリエル様」
彼女のことばに秘められた強い意志に、ガブリエルはため息をつく。
「わかりました。許しましょう。貴女のような天使を地上へ
行かせるのは残念ですが、それが貴女の意志であれば……」
そのことばに彼女は嬉しそうに微笑む。今にも、地上へと飛んで行きそうな
彼女にガブリエルは声をかける。
「但し、その翼は置いていきなさい。人の子としてこれからを
過ごす貴女には、その翼は必要のないものですよ」
そして、やさしく幼い天使の額に口づけ、何かをささやく。そのことばに
彼女は目を輝かせて答える。
「はい。ガブリエル様」
(いったいいつまで彼女は待たせるつもりなんだ……それともやはり
天界に残らざるを得ないのだろうか……)
彼はいらいらと彼女の戻りを待つ。
「……シーヴァス」
小さな声に彼は振り向く。そこには彼の最愛の女性が立っていた。
「ごめんなさい。ちょっと遅くなってしまいました……」
恥ずかしそうにことばを紡ぐ彼女に彼はため息をつく。
「怒っていらっしゃいます?」
「そんなことはない」
そう言って、彼女の方へと歩き出す。そんな彼に向かって彼女は
走り寄る。
「???」
「見て下さい……私、やっと地上を歩けるんですよ……」
「歩ける……?」
「はい……もう浮かび上げることもないんです……」
そう言って彼の腕の中へと飛び込む。彼女の背に手を回すと、彼は、
そこにあるべきものがないことに気づく。
「翼は……」
「地上で生きるには必要ないものだからと置いてきました。でも、
翼、あった方がよかったでしょうか……?」
「いや、そんなことはないが……ちょっと残念だな。きれいな
翼だったのに……」
そんな彼のことばに彼女はくすっと笑うと彼に何かささやく。すると
彼は彼女を強く抱きしめる。
「そうだな……ガブリエル様の言うとおりだ。これからずっと
一緒だ……」
「はい……」
『天使の翼がなくとも、心の中に翼があればどこへでも行けるのですよ……
それが誰よりも愛すべき人が一緒であれば……』