■夢みるように■ きいこさま
「勝手な願いですまないが、よければ君の羽根を一枚もらえないか?」
彼の頼みに肯いて、自らの羽根を与えた。それは勇者に対する報償のようなもので、他に意味などなかった。少なくとも、フレアにとっては。
なにかあたたかい。というより、熱い。
ああ、日が射してるんだ。
フレアは、うとうと、夢見るように呟いて、ふいに目が覚めた。一瞬、目をしばたかせて辺りを見まわす。
ここは、どこ?
ずるっと起きあがると、背中の翼に重いものが乗っている。かなり長い時間負荷がかかっていたらしく、痺れがのこって翼が動かない。おかしい。眠る時にはいつも翼をしまっている筈なのに……フレアは頭をふりながら背中の重いものをようやくみとめて息をのんだ。
翼に触れているのは、腕。それは、となりに眠るひとの……
(シーヴァス?)
思わず口をついて出そうになった名まえに自分でびっくりする。
彼がここにいるはずがない。
フレアは、その腕をしずかにほどいて、そっとベッドから降りた。ベッドのわきに呆然と佇んで、そのひとを見る。ボサっとした黒髪、閉じた瞳、眠っていても、お行儀がよい。
「……起きたなら帰るといい」
突然、口元が動いて、不機嫌な声を発した。
「お、起きてたんですか」
「ああ」
「えと、わたし、どうして……?」
ここにいるのでしょう。と、つづようとした言葉は声になる前に遮られる。
レイヴが無言で睨みつけてきたのだ。
「あ、あの…?」
本気で動揺して身構え、フレアは頭の中でゆうべのことを必死で思い返していた。夜遅くに訪問したのは、レイヴに剣を渡すだめだった。ガブリエル様にいただいた剣で、なにげに力不足のレイヴの役に立つものだからと急いで来てみたら夜中で、レイヴは不機嫌でいかにも「帰ってくれ」といわんばかりの、いや、いわれた。「帰れ」といわれたのに、
「どうしてここにいるの、わたし」
「……………」
無言で睨む瞳が少し翳りを帯びたように和らいだかと思うと、レイヴは深い溜め息をついていった。
「倒れたからだ」
「えと……誰が?あ、レイヴがですか!?大丈夫ですか」
「俺は倒れん。健康管理は義務と心得ているからな」
眉間のしわを濃くして、レイヴは仕方なさそうにベッドから降りた。騎士の服を脱いだ軽装で、いつもと違った感じがする。
フレアはたじろいだように後ずさった。
「すみません。わたし……」
「自覚があったなら、気をつけるがいい」
「は、はい」
うつむいたフレアの肩に手をぽんと置いて通り過ぎていく。
「それからシーヴァスによろしくと伝えておいてくれ」
「……はい?」
「寝言で名を呼んでいた」
その言葉をいうときだけ振り向いて、軽く笑った。
フレアは真っ赤になって、慌てて頭を下げた。
「す、すみません。ほんとに……」
何に対してあやまってるのか自分でもわかっていない。呆れたのか何もいわずに着替えはじめようとしているレイヴを見て、慌てて戸口のほうへ軽く飛び下がると、突然「あっ」と声をあげた。
「いけない。シーヴァスと約束してたんでした!」
「………」
「お礼とお詫びは後ほどいたしますのでっ!」
そんなものいらん。といいかけたレイヴを残して、さっさと戸口から外へと飛びだし、空へ舞いあがっていく。そんなフレアをレイヴは、ものいわぬ瞳でじっと見つめていた。
その手には、天使の羽根がある。
はあ、びっくりした。フレアは、どきどきする胸を抑えながらシーヴァスがいる筈のカノーア北の高原へ急行した。高原は雪に閉ざされている。
その寒い野外で、シーヴァスは不機嫌そうな顔をして空を見上げていた。
「すみません。遅刻しました」
ばさばさと翼をはためかせて、彼のそばに舞い降りる。金糸の髪が煌めいて銀世界のなかでそこだけ色がついたように輝いている。
シーヴァスはすでに依頼された任務を終えて、ひと休みしているところだった。雪の丘に背中をあてて剣の手入れをしている。寒くてそれどころではない筈なのに、寒さなど感じさせない優雅さで、その空に天使の姿をみとめた時、わざと視線を落としていた。
優雅なしぐさとは裏腹に、疲れ切った横顔。傷の深さが窺える。
「あ、怪我を…!?」
降り立つなり駆け寄って傷の有無を確かめるようにシーヴァスの身体に手を触れる。とたんに身をひいたシーヴァスは、皮肉のひとつでもいってやろうかと、フレアを見て、言葉をとめた。
「すぐ回復魔法で……」
「いや、いい。これぐらいすぐ治るだろう」
いいながらフレアの顎に手をかけて上向かせた。
「顔色が悪いな」
「…えっ!?」
ぎょっとして大声をあげると、フレアは自分の頬に手をあててうつむいた。
自然と手を振り払われた恰好になったシーヴァスは、苦笑しながら剣の手入れをつづけている。
「あの……」
「君のすることはもうないと思うが、まだ何か用でもあるのか」
冷たい態度に不似合いなやさしい声で、フレアを気遣っているのがわかる。
「えーと、少し魔力を使いすぎて、それだけです」
なにを言い訳しているのか、フレアは慌てて言葉をつないだ。
「レイヴのところで一晩休んだので、かなり楽になりましたし……」
だから「もう帰れ」といわないで欲しい。と心に浮かんだ言葉は、口にできない。
「……レイヴ…」
「あ、シーヴァスによろしくといってました」
「一晩休んだ…?」
「はい」
きょとんとシーヴァスを見つめて首をかしげている。
シーヴァスがどこにひっかかって何を気にしてるのかわかっていないので、いろいろと考えて、はっと気づいたように、ぺこりと頭を下げた。
「すみません。えと、遅刻したのは寝過ごしたせいです。とてもあたたかくて気持ちよかったので……」
ひとことふたこと多すぎる。
シーヴァスの顔が歪んだのを見て、フレアは首をすくめた。
「はい、もう言い訳しません」
しゅんとなって気まずそうに黙り込む。そんなフレアを見て、シーヴァスはあきらめたように剣を鞘におさめると腰をあげた。
「具合が悪いなら、帰るといい」
「え、いえ、だからもう具合は悪くないんです」
背を向けたシーヴァスを追うように歩をすすめて、いつになく必死なっている。それは遅刻したことに対する後ろめたさのためでもあったのだが、そんな態度も、シーヴァスには面白くなかった。鬱陶しそうな表情で振り返る。
レイヴといえば、この間までバルバ島に捕らわれていて、このフレアの頼みで、依頼を受けて助けにいった。そのときは顔を合わせないまま去ってきてしまったが、どうやら元気になったらしい。それはいい。
「あの、シーヴァス…?」
黙って自分を見つめるシーヴァスに、首をかしげている。そんなフレアから視線をそらして、シーヴァスはそっと息をついた。
まず具合の悪い状態でレイヴの処に行った。そこで一晩明かした。かといって、何があったとか疑うわけではない。レイヴのことだ、その点に関しては、当然ながら自分より信頼している。だが、冷静に理解して落ちついている部分と、それでも納得できない部分があって、シーヴァスは複雑だ。
ひとことでいえば「なぜ自分のところに来なかったのか」という、その一点なのだが。もちろん今更な、そんなことを口にするのは憚られる。
いや、いえない。
「フレア」
名を呼ぶと、不思議そうにシーヴァスを見上げる。透き通る青空を映した瞳が、まっすぐシーヴァスを見つめている。
一瞬、たじろいだように息を呑んで視線をそらすと、シーヴァスは、そんな自分を嗤うように苦笑した。思うようにいかないものだ。
「私はもう休みたい。君も早く戻って休むといい」
突き放す言葉尻に感情が滲んでいる。フレアは気づかないまま、
「……はい」
残念そうにうなずいて、ただ翼をひろげた。白く光り輝き、辺りをまぶしく照らす。金色の髪がふわりと浮いて、フレアの体が宙に浮いた。
その瞬間、手をのばして、その腕をつかんだ。
「え…っ」
飛び立とうとしていたフレアは、バランスを崩して、シーヴァスの腕の中に落ちるように抱きこまれてしまう。
「あ、あの…っ」
突然のことで焦りまくっているフレアを抱き締め、軽く口づけて離した。
「…フレア……」
至近距離にシーヴァスの瞳があって、いつになく真剣な表情をしている。名を呼ばれて、フレアは半ば呆然と、そんな彼を見上げている。何かいいかけるように口をひらきかけて、シーヴァスは笑った。
「いや、何でもない」
「………?」
「ただ、私にとっては……」
逡巡して、言葉を探す吐息をついてから、
「…他の何より、疲れを癒す薬になるというだけだ」
「え?」
なにが…?と、問いかけようとして言葉にならなかった。シーヴァスが再び唇を塞いで、抱きしめてくる。あたたかい腕に寄りかかるように体を預けるといつしか全身から力が抜けていく。
明け方の、やわらかい日差しを思いだす。
シーヴァスのと違う、腕を思いだす。
「……あ」
腰にまわされた腕と、首をおさえる手の強さに、フレアは逃れるように体をずらした。簡単にほどかれる腕。呆気ないほど簡単に……
「シーヴァス…?」
「引き留めておいて何だが、早く戻って休むといい」
先程よりやわらかい口調でいわれて、ようやくフレアは微笑んだ。
「はい、ありがとうございます」
シーヴァスから離れて翼をひろげると、
「あの、わたしの羽根、欲しくありませんか?」
唐突に、思いついた言葉を滑らせるようにいった。
「別に欲しいとは思わないが」
「……そうですか。勇者さんには必要なものなのかと、思ったものですから」
意味不明の言葉である。フレアの羽根とは思わず「天使の羽」と考えれば、ありがたいアイテムではあるが、それともまた違う言い方だなとシーヴァスは顔をしかめた。
「欲しくなったらいってください。すぐ渡しますので…」
「いや、欲しいとは……レイヴ、か」
脱力したようにいって、シーヴァスは視線を逸らした。先程まで話題にしていたことでもあるし、連想するには容易い。
「レイヴが君の羽根が欲しい、と…?」
騎士は大切な人のものを身につけて戦場に向かうという。
この天使を「大切なひと」と思っているのか、闘いの女神になぞらえてでもいるのか……顔が歪みそうになって苦笑した。
じぶんの感情を持て余す。疲れが癒されると同時に、些細なことで疲れとも痺れともつかない感覚に惑わされる。
「何でわかったんですか」
驚いて問いかけてくるフレアの肩を引き寄せて、もう一度口づける。不意のことで、うろたえるフレアに、シーヴァスはいった。
「私には、羽根など必要ない」
「……はい、すみません。余計なことをいって」
そういう意味ではないが、そういう意味でもあるので黙っていると、フレアは、軽く微笑んで翼をはためかせた。
「もういきます。どうぞ休んでください」
そういって今度こそ空に舞い上がる。その姿を思わず目で追いながら、シーヴァスは、剣を引き寄せて、溜め息をついた。
ふと唇に手をあてて、フレアは微笑む。どきどきする鼓動がとまらない。
疲れを癒すには……シーヴァスの言葉が耳に残っている。たしかに癒された気がする。なにかの魔法のように。
思いながら、フレアは、じぶんの羽根を一枚てのひらにのせた。それは勇者に対する報償のようなもの。他に意味などなかった。けれど、シーヴァスには受け取って欲しいと、思った。なぜ…?
首を傾げながら、フレアはなんとなく幸せな気分に浸っていた。