■微 熱■ きよひさま
彼は思う。天使と付き合う程、馬鹿馬鹿しく鬱陶しいことはない。
それが現れたのは、ある穏やかな春の日の午後だった。ちょうど彼は館付きの小間使いに戯れを仕掛け、女の方もまんざらではない様子で、ちょっとした退屈凌ぎができそうな雰囲気だった。他愛も無い科白を玩びながら女の肩を抱き寄せようとした、その時、背後から世にも妙なる声が彼の名を呼んだのだ。
まったく、魔物の方がまだましであったろう。
うかうかと誘いに乗ってしまったのは、まさしく魔がさしたか、相手がご丁寧にも(そうした営みをすることも無いだろうに)女性の姿をとっていたせいもあろうか。
天使は美しい。眩いほどに。その美しさはおそらくは、或る種の人間にとっては罠として働くこともあるだろう。そうして、彼はと言えば、まんまと罠にはめられたということか。
彼、シーヴァス・フォルクガングは、天使の勇者になったのだ。正義感とも信仰とも、およそ縁の無い男が・・・。
生活は一変した。
天使は何処にでも現れた。何時であろうと、彼が何をしていようとお構いなしに厄介事を運んでくる(真夜中に寝室にまで押しかけてきた時は、さすがに腹に据えかねて叩き出した)。
鈴を振る如き澄んだ声で、ありがたや、お説教ばかり垂れてくださる。でなければ仕事の依頼か。
・・・よろしくお願いします。シーヴァス。
・・・ありがとうございます。シーヴァス。
・・・それでこそ、勇者です。シーヴァス。
糞食らえ、だ・・・!
夜会に出かけても・・・、豪奢で華麗な虚飾の宴で貴婦人たちと踊り語らっていても、ふと見上げると、白い羽根が舞っている。柱の陰で天使の淡い金髪が揺れている。
彼がこれまで住処としていた世界を、彼女は崩してしまった。心血を注いで築き上げた繊細で精妙な虚構も所詮偽りにすぎないと、白い翼が暴いてしまった。貴族としての生活も、駆け引きも、恋の嘘も遠く色褪せ、代わりに野外の風が彼の日常となった。
森の中で、小高い丘で、天使はまた、気まぐれに訪れては「きれいな景色ですね」などと言う。
確かに美しい景色はそこにあった。だが、彼女が本当にそう感じているかは疑問だ。
おせっかいで、お人好しで、好奇心が強くて、やたらに押しが強くて、限りない誠意と善意に満ち溢れた無神経きわまりない女。神が造り賜うた完璧な美貌に、これもまた完璧な微笑みをいつも浮かべ、しかし、その笑顔が彼にはどうにも信用できない。
本心から笑っているのか。
うわべだけの笑みではないのか。
長年、社交辞令と作り笑いの中で暮らしてきただけに、笑顔で接してくる者に対しては、かえって警戒心が働く。疑念を抱いてしまう。
そういえば、彼女は何をしても気を悪くするということがない。
勇者であることに、なんとはなしに嫌気が差してきた頃、試みに依頼を断ってみたことがあった。
「そうですか」
思いのほかにあっさりと引き下がった。
「シーヴァスにも、色々と都合がありますものね」気落ちした様子もなく「この件は別の方にお願いしてみます」
来た時と同じくにこやかに、彼女は立去った。
拍子抜けした。
同時に、他に頼りにする奴がいるのかと思うと、面白くなかった。それを平気で洩らしてしまう彼女の気使いの無さも腹立たしかった。何より、彼の我侭にも少しも困ってみせない態度が気に障った。
少しは宥めたりすかしたり、縋って頼みこんできたりすれば、こちらも考えなくもないというのに。
「それとも、その程度の関係でしかないということか」
ならば、纏わりつかなければ良い。他の、もっと頼りになる、彼女を信頼している勇者に全てまかせて、自分は放っておいてくれればいい。
次に依頼を持ちかけてきた時には、そう仄めかしてもみた。
「でも、今回はシーヴァスが一番現場から近いんです」
悪びれもせずにしゃあしゃと、彼女は言ってのけたものだ。
「事件は早く解決するにこしたことはありませんもの。助けを待っている人もいるのですからね」
そしてまた、にっこりと笑って見せる。
煮えたぎった鉛を飲んだ気分だった。
だから、これはほんの意趣返しのつもりだった。
ちょっと、意地悪がしてみたかった。困らせてみたかった。他に意図するところは無い。
少なくとも自覚は無かった。この時点では。
シーヴァスは天使を呼び出した。
「少し話がしたい」
よせば良かった・・・。
こんなこと、しなければよかった・・・。
「・・・君に、触れてもいいか」
そこまで言い終えた直後、自分がとんでもない間違いを犯したことを思い知らされた。後悔するも、もはや遅い。
天使は笑っていなかった。思惑どおりに。
大きく目を見開いて彼を見つめている。青い眸。吸い込まれそうな青。深い湖水にも似た。こいつはこんな眼をしていたのか・・・、と、今さらになって気付く。更に、そのことに今まで気が付いていなかったという事実に愕然とした。打ちのめされた。
彼の知る、にこやかで完璧な天使ではなかった。目の前にいる彼女は。
突如として目の前に現れた、初めて見る乙女か、と思われた。
彼の言葉に驚き怯えている。成す術も無く、どうすれば良いかもわからず立ち尽くしている。無垢で無防備で、傷つきやすい、誰かの保護の手が必要ではないかとさえ思える、か弱く可憐な娘だ。
手をさしのべようとすると、淡い金の睫がふるえた。触れられない・・・。
突然、彼は笑い出した。
笑いに紛らせでもしないと、胸の痛みでどうにかなってしまいそうだった。
「冗談だ」自分に言い聞かすように。
試しただけだ。
なんて言い返されるか興味があっただけだ。
それだけだ。
笑いながら、叱責を期待した。仮にも聖なる存在に対して不謹慎に過ぎると。そう言われれば、みんな、本当に冗談にしてしまえる。この胸の痛みも、高鳴りも、きれいに霧散することだろう。
・・・天使は何も言わなかった。
かすかに唇をふるわせ、瞼を伏せたかと思うと、幻のように掻き消えた。
まったく、彼女に関しては何もかもが思いどおりにならない。取り残された男は思う。
まったく、自分の心さえ・・・!!
お笑い種だ! 彼女が自分を異性として意識できるかどうかだって!? 自分が彼女に惹かれていたことにすら、気付いていなかった!!
寝台にくずおれて、左手で両目を塞ぎ、右手で胸を押さえた。少し熱があるようだ。目覚めたばかりの鼓動は今も、激しく彼の心を叩き続けている。愛している。彼女を愛している、と。
彼女の目が忘れられない。あの青い眼差しが忘れられない。最後に見せた哀しそうな表情が焼き付いて離れない。あんな悪戯を仕掛けなければよかった。何もしなければ、彼女を傷つけることもなく、自身の想いにも、気付くことは無かったのに。
天使はもう来ないだろうか。来たとして、以前のように彼に微笑みかけるだろうか。そして、自分は彼女を前に、平静でいられるのだろうか。
・・・いっそ、あのまま抱きしめて、口づけてしまえば良かったかな。
ふと、そんなことを考えて、すぐ振り払う。振り払っても、また舞い戻って来る。瞼の裏には、鮮やかに浮かび上がる彼女の姿。
足元まで流れ波打つ金の髪。深い湖の瞳。透けるような肌は、きっと、絹のように滑らかな手触りに違いない。ほっそりとした体はきっと、抱き上げても羽根のように重さを感じさせないだろう。未だ知らぬ唇の感触は、いったい、どれほど柔らかなのだろう。
その夜、シーヴァス・フォルクガングは夢の中で、白い幻の乙女を抱いた。
すみません。シーヴァス優しくないです。 紳士的でもないです。ついでに不埒です(ひどい)。
天使も何を考えているんだか・・・・単なるボケになってしまいました(泣)。
しかしこれでも一応「恋は当人が気づかないうちにはじまってるんだよー」という深〜いテーマが・・・
あったりなかったり(どっちなんだ!)。
ちなみに、天使の外見はオーソドックスに、金髪碧眼と思ってください。
名前・・・ディフォルトでもいいかな(いくら本名プレイしてたからって、
こんなとこに自分の名前は入れられん)と思ったんですが、
とりあえず今回は、名無しということで。
きよひ でした。