■予感■ きいこさま
こんなフレア様を見たのは、はじめて。
ローザは、戦いの最中であることも忘れて、フレアの姿を見つめていた。
取り乱している。あの天使様が。すこし頼りないところはあるけれど、どの任務もそつなくこなし、どの勇者たちにも慕われ、落ちついているというか冷静というか、おだやかな表情の下で何を考えてるかわからないというか、もしかしたら実は、とても冷たい方なんじゃないか、と思っていたのに。
「シーヴァス、お願いです。逃げてください!」
必死に叫んでいる。天空から翼をはためかせて、ぎりぎりまで彼のそばに近づいて、敵の姿など目に入ってないにちがいない。
「もう少し離れてるんだ」
突き放すようにいって片手剣を構えなおす、華奢でしなやかな身体つきにしては、力強い剣さばきで、敵を威圧している。
それでも彼の体力は限界にきていた。もう、これ以上の攻撃には耐えられないほど。
「シーヴァス・・・!」
「うるさい」
強制的に力を行使して退却させようとするフレアに気づいて、きつい声でそれを制した。こんなシーヴァス様も、はじめてだ。と、ローザは思った。
そもそも、この事態は、フレアが招いたものだった。
このところ、ずっと、この天使は、おかしかったのだ。
たしか以前は毎日のように、このシーヴァスと会っていた筈なのに、なぜか突然、会うのを避けるようになって、面会はおろか、訪問もせず、妖精のローザを時々つけてはいたが、任務のために遠征中の勇者シーヴァスのことを、それこそ放ったらかしていたのは、フレアだ。
任地について敵と接触したことをローザが知らせに行ったときも、やっと気づいたように、いったものだ。
「え、もう着いたの?」
もしかしたら急行して助けることも拒否するんじゃないかと思ったほど、フレアの声は醒めていた。それが、これだ。
ローザには、なんだか目のまえの光景が信じられなかった。
急行したとき、すでに彼は、深い傷を負っていて、かなり疲労してる状態で、フレアは、それを見た瞬間、叫んだのだ。
「逃げて!」
と。悲鳴かと思った。
「フレア様、落ちついてください」
やっとローザは、天使に声をかけることができた。
「癒しの力をつかってください。わたしの力は、もうないんです」
もともと妖精の力は弱くて持続力がない。
「このままでは命を落としてしまいます。早く」
「何もするな」
ローザの声すら遮って、シーヴァスは最後の力をふりしぼるように、敵に向かって剣をふるった。すさまじい風がわきおこる。勇者となってから剣にそなわった天界の力が鋭い風と光になって、敵を屠っていく。
断末魔をあげて、醜いモンスターたちが倒れていく。
「シーヴァス!」
そして、勇者もまた、力つきたように、地に倒れこんだ。
癒しの力をそそいでいる。ずっと、天使は彼を抱えている。
「ねえ、ローザ。彼は、この任地に辿りつくまえに、かなり傷を負ってたんじゃないの?わたしがもっと気にかけておけば、こんなことには・・・」
「それは、そうですね」
さっきからずっと考えごとをしてるように黙りこんでいたローザは、何も考えずに、さらっと肯定した。フレアは、そんなローザに、笑いかけた。
「そうよね。天使失格ね。インフォスの守護なんて・・・」
偉そうに高みから見下ろして、自分は安全な場所にいて、勇者には危険な戦いを強いて、こんなときに癒すことしかできない。
「フレア様。いつものフレア様じゃないみたいですね」
「え?」
「シーヴァス様といったい何があったんですか」
単刀直入なのは、ローザの、いつもの癖だ。
フレアは笑った。ほら、その笑い方がちがう。
「べつに、何もあるわけないじゃないの」
そしてこれは、いつもの天使の笑顔。
「そんなことより、ローザは先に帰っていて。疲れたでしょう」
「・・・そうですね」
ふいに羽根をひろげて、ローザは、飛びあがった。
「天使様は、ゆっくりしてらしてくださいね」
その声音に軽くからかうような響きをのこして、ローザの小さな姿が空に消えていった。空といっても、すでに夜になりかけている。
癒すために手をかざしたまま、フレアは空を見上げた。
「空と同じ色だな」
びくっと手を引っ込める。なぜって、突然、指をつかまれれば、誰だって驚くだろう。
「シ、シーヴァス」
「君の瞳に、空が映ってるようだな」
「いつから気づいてたんですか」
「実は、最初から」
くすくす笑って体を起こすと、確かめるように腕をさすっている。
「さすがだな。痛みもなくなった」
「最初から・・・?」
「君の腕のなかが心地よかったものでね」
しれっというし、この男は。気が抜けたのと驚いたのとで、反応の遅れたフレアは、いつものようにふくれっ面をしようとして、ふいに、その表情を消した。それを見て、シーヴァスの表情も変わった。
気まずい沈黙がやってくる。先に口をひらいたのは、フレアだった。
「・・・怒ってるんですね」
「何でそうなる?」
「ずっと考えてたんです。このまえシーヴァスにいわれたことを」
「ああ、このまえのことは・・・」
「天使は人間に何も感じないのかと訊きましたね」
訊いたのは、それだけじゃないけどね。
「ああ」
「わたしは天使なので、やっぱりわからないみたいです」
それが「くやしい」と、その口調がいっている。
「こんな傷を負ってまで戦うなんて・・・」
「君が癒した」
「でも、あなたは、わたしの命令を無視した」
「命令されるのは嫌いでね」
そっぽ向いて、ぼそっとつぶやく。ほんとは訂正してやりたい。さっきの
「逃げて」コールは、命令ではなくて、懇願に近かったではないかと。
戦いのなかで傷を負って、癒される時間のないまま任地について、天使が来るのを待っていた。なのに会った瞬間の言葉が「逃げて」だ。
この際、かたくなに意地を張ってしまった自分のことは棚にあげている。
久しぶりに会ったというのに、みっともないところを見せてたまるか。
実のところ、それが、あのときの、シーヴァスの気持ちだった。
「もう、だめですか。わたしの指示は聞けませんか」
「そんなことは、いってない」
フレアに視線を戻して、闇のなかで尚かがやく金色の髪に手をのばした。
彼女は動かない。髪から肩に手をかけると、はじめて身じろいだ。
「な、なんですか」
「このまえのつづきをしよう」
「もう、その手にはひっかかりませんよ」
「そうか。君も学習するわけだ」
このまえは簡単にひっかかった。からかい半分、天使を口説いてみたら、ほんとに、ころっと手に入りそうになってしまって、実は、あのとき、仕掛けた当人が内心焦りまくったことなど、この天使は知る由もない。
そのうえ、あれ以来、まったく姿を見せなくなって、面会にも応じてくれないとなれば、シーヴァスの、へこみ具合も生半可なものじゃなかった。
「まあいい」
「なにが「いい」んですか。話がずれてます、シーヴァス」
「指示を聞こう。つぎの任地はどこだ?」
いいながら肩をひきよせようとする。フレアは身をひいて、シーヴァスの手からすり抜けた。うまいものだ。
「まだ決めてません」
「そうか」
今度は肩じゃなくて腰に手をまわしてくる。
「ちょっと、何なんですか。さっきから」
「他の男勇者に襲われないよう、訓練しようかと思ってね」
「あなたみたいな人、他にいません!」
「そうかな?」
笑っている。いつもの彼だ。内心それを喜びながら態度だけは変えずに、フレアは、彼の手を払いのけた。
なに、じゃれてんのかしら、あのふたりは。
ローザは、木の枝に腰かけて、下のふたりを眺めながら、あきれたように肩をすくめた。帰ると見せかけて、実は、ここにいた彼女である。
信じられない光景の続編が繰り広げられている。この展開には頭脳明晰で知られるローザにも予想がつかなかった。
「天使を補佐する妖精としては、どうすればいいんでしょうね」
何はともあれ、らしくもなく落ち込んでいた天使を、あそこまで、さりげなく元気にしてくれたのだから、シーヴァスの力も捨てたものではない。
「ま、いいわよね。しあわせそうだし」
いろんなフレア様が見れて、ちょっと得した気分だし。
ローザが見ているそばで、とりあえず、ふたりは手をつなぐことになったらしく、なにやら一歩前進?みたいな雰囲気のまま、かたまっていた。