■花と鳥と風と月■ エルスさま
任務の合間を縫って天界にやってきたマイアは、偶然アカデミア時代の友人との再会を果たし、杯を交わす時間を得た。
「とにかく、最初からいやな奴だった。心にもないことを言って女をたぶらかしているのが、はたから見てもすぐにわかった」
水晶の花が咲き乱れる場所で、並んで座る友人に彼女はそう切り出した。彼女が見出し、ともに戦う勇者のことを。
――地上界はとても美しくて、マイアはこの世界の守護天使となれたことを喜んだ。そして、その気分のまま妖精が見つけてきた勇者候補のもとへ飛んだのだ。
『失せな、ド派出姉ちゃん』
最初の勇者候補の青年は、この一言で彼女の話を一蹴し、どこかへ行ってしまった。彼女は怒りのあまりしばらく茫然としていたが、すぐに気配を消して彼を追いかけ、筆舌につくしがたいような制裁を加えて(もちろん、偶然を装ってこっそりとやった)から、少しすっきりしたところで次の目的地へと向かった。
そうして、さらに彼女の気分をどん底へと突き落とすような存在と出会ったのである。
「とにかく、背筋に悪寒が走るほどに美しい女性だった。お前もそう思っただろう、レイヴ?」
絹の流れのような金髪を無造作にかきあげ、シーヴァスは向かいでゆっくりとグラスを傾ける旧友に話している。
奇跡のように現れた、翼持つ美しい乙女のことを。
――彼の身の回りの世話をしている、純朴そうなメイドを口説いているそのときに、乙女は突然彼に声をかけてきた。
『魔物がいる』
彼女からは邪悪な空気を感じなかったけれども(むしろ清浄な雰囲気が醸し出されていた)、その背に広がる翼の存在を意識して、彼はメイドを下がらせ用心深く問いかけた。
『何者だ、貴様は?』
黄金の巻き毛、光の加減で銀にも見える双眸、なめらかできめこまかい、陶器のような白い肌、薔薇色の小さな唇。そんな容姿の乙女は儚げに微笑んで、彼に勇者になってほしいと頼んできた。
その笑顔が、なぜか精巧な人形のようだと、彼は思った。
実際、マイアは自分を偽って勇者たちと接していたのだ。誰にも見破れなかったほどに完璧な演技を、ある日シーヴァスに気づかれてしまった。
「なぜかはわからないが、あの男には早晩ばれると思っていた。だから私も開き直って本音をぶつけてみたら、どうなったと思う?」
首を横に振る友人に、マイアは少し頬を染めて、再び語り始めた。
――その小さな事件があってから数日後、彼女はシーヴァスから面会を求められた。心持ち緊張しつつ彼女が降りていった先は、彼の家の花園だった。
塀の中だというのにそれを感じさせないほど広く、また必要最低限しか人の手を加えていないその庭に、彼女は目を奪われた。庭にやってくる色とりどりの小鳥たちに彼女が夢中になるのに、さほど時間はかからなかった。
(私が花よりも生き物のほうが好きだと言ったこと、受け入れてくれたのか)
心を寄せるものを理解してもらえないことから、今まで自分を飾ってきた彼女にとって、彼の行為は新鮮な驚きであり、喜びが優しく心に染み渡っていくのを感じた。
そのとき、庭で無心に小鳥たちと戯れるマイアを見守りながら、シーヴァスは胸苦しさを覚えていたのだった。
「彼女は私ととてもよく似ていた。だから、彼女が未だ孤独の中にいることもわかってしまった」
――花が眠り、小鳥が夢を見るころになっても、美しい天使は風の中に立っていた。
『マイア。もう遅い時間だ。そろそろ戻って休んだほうがいい』
そう声をかけると、彼女は振り向いた。シーヴァスが思わずすべての動きを止めてしまうほどに、彼女は悲しい表情をしていた。
『……マイア?』
『またここへ来ては、迷惑か?』
小さく紡がれる声は、寄る辺のない子供のようで。藍色の闇の中に攫われてしまいそうなほど、細い肢体は頼りなくて。
月の光が途切れた一瞬、彼は動いていた。
抱きしめた腕の中で彼女は身じろぎしたが、逃げようとはしなかった。
「なぜ動けなかったのか、私にもよくわからない」
空になった杯を置いて、マイアは言った。
「わからないが……彼の傍なら、私は私でいられる」
黒髪の天使は、優しく微笑んで祝福の言葉を口にする。
「よかったな」
不器用な友人からの、短いが心のこもった一言は、シーヴァスを困惑させるのに十分だった。