■You pray, I stay■ SEPIAさま
「…どうやら、迷ってしまったようですねぇ…。」
いまさら言わずとも、分かりきったことを、背中に翼を持つその女性は呟いた。
「そうだな」
ため息をついて、手に地図と磁石を持った、金の髪の青年がうなずく。
地元の民しか通らぬような森の中では、一度道を見失ってしまっては、地図を見てもはっきりした場所までは分からない。
「近道だと思ったんだが…。」
そう言って、もう一度地図を見る。
地図には、次の目的地となる街とその手前に広がる森が描かれ、その森の中を通る道が確かに記されている。しかし、周囲のどこを見渡しても、道らしき道はなく、ただ木々が連なっているだけであった。
どうやら地図に記された道は、最近では地元の者も通らぬもので、今ではすっかり森にのまれているらしい。
「とりあえず…」
金の髪の青年は、呟きながら地図をしまうと磁石に目をやった。今いる場所が分からなくても、街のある方向は分かっている。
「方角を確かめながら行くしかないな。」
街のある方向と、磁石の指し示す方角を確かめて歩き出そうとした青年に、翼持つ女性が背中から声を掛けた。
「あの、シーヴァス。少し空から様子を見てこようと思うんですけど」
そう言われて、振り向きながら女性の背中にある翼に目をやる。確かに何処にいるのかも分からず歩きつづけるよりは、周辺の様子が分かったほうが歩きやすくはある。
ふむ。と少し考え込んだシーヴァスの判断を聞くことなく、女性はふわりと中空に浮き上がって言った。
「行ってきますから、ここで待っていて下さいね。」
待てと言おうとしたシーヴァスを残して、そのまま翼を羽ばたかせると、あっという間に森の遥か上空にまで離れて行く。
白い翼と、光を受けてきらめく髪が見えなくなると、シーヴァスは小さくため息をついて、手近な場所に腰を下ろした。
ふと、森の中に一人残されたことを不満に感じている自分に気付いて、小さく苦笑する。
まるで幼い子供のようではないか、と思う。けれど、出来るだけ彼女の側に長く居たいという想いを否定する気はない。
それにしても、近頃の彼女には、焦りを感じる気がする。
淀んだ地上の時を正し、崩壊から救うために、天より舞い降りた天使。その彼女が焦る理由は分かりきっている。
地上の時を狂わせたものの正体が明らかになりながらも、彼女が地上を救うために与えられた時間は、刻々と残り少なくなっていく。
シーヴァスは空を見上げ、まだ天使が戻る気配がないことを見てとると、自分の膝に頬杖を付いて俯いた。
このところ空を見上げるのが癖になっている。いつも、彼女の姿を探してしまっている。初めから、恋の相手ではないと、そう思っていたはずだというのに。
生まれた世界は遠く離れ過ぎ、その存在は遥かに異なり。
その上、いずれは天に帰ってしまう者を想って、何になるというのだ。
一度は、そんな想いに耐え切れなくなっていた。そこに、堕天使の使いが放った言葉が、呪縛となってシーヴァスの心に絡みついた。
『15年前にあの街に火を放ったのは、この我よ。将来、勇者になるかもしれん者がいるとの予言を受けてな』
『お前も、我と同じコマにすぎんのだよ。』
彼女が、天使が勇者をコマだなどと思っているわけではないことは、シーヴァスには分かっていた。勇者を導くことは、彼女にとって唯一の方策であることも。彼女は、ただこの地上を救いたいと、本気でそう願っているに過ぎない。
けれど、たとえ彼女が勇者をただの道具などと思っていなくても、彼女は、いずれ自分が天に帰ることを知って、自ら選んだ勇者たちと別れることを知って、地上にいるのだろう。それが当然のことだとしても。
そして、堕天使の使いアドラメレクが口にした予言。
彼女がいずれ天に帰ってしまうことは、シーヴァスにも分かっていたはずだった。
しかし、耐え切れなくなったのだ。いずれ別れる者と共にいることに。まるで、何かに操られたように彼女の側にいることに。
だから、彼女の元を去った。アドラメレクの言葉を理由にして。
全て何もかもから逃げ出してでも、胸の痛みを忘れたかった。彼女によってもたらされる一切を消し去りたかった。
それなのに、彼女は自分を再び探し出した。
目の前に現れた天使は、シーヴァスの胸を詰まらせた。自分の抱える想いよりも、彼女の想いの方がつらかった。
彼女が望んでいるのなら、戻ろうと思った。彼女の勇者に。胸の痛みを押し隠してでも。
「シーヴァス」
突然、耳に彼女の声が響き、思考は打ち破られた。
顔を上げると、目の前に天使が立って、シーヴァスの顔を覗き込んでいた。
「…戻ってきたのか」
「ええ、街までの道は分かりましたよ。…シーヴァスは…、何か考え事でも?」
気遣わしげに尋ねる天使に、シーヴァスは微笑んで答えた。
「いや。あんまり君の帰りが遅くて退屈なものだから、誰かに捧げる詩でも、と思って案じていたところだ」
シーヴァスの言葉に、天使の表情が一転して呆れたものになる。
「…それで、いい詩は浮かびましたか?」
「さてね。君に捧げさせてくれるのなら、言ってみてもいいが」
からかうような口調で言うと、天使は微かに頬を染めながら、ふいと顔を背けた。そのまま、街があるはずの方向に歩き出す。
「さあ、もう行きましょう。シーヴァス」
そう言って、前を行く天使の背を見ながら立ち上がると、シーヴァスは僅かに眉を寄せた。
自分は、何処かで彼女の想いも知っているのだろう。なのに自分の想いさえ、伝えられないままなのだ。
「…シーヴァス?」
なかなか追いかけてこないシーヴァスに気が付いて、天使が振り向くと、シーヴァスはようやく歩き出した。
やはり何か悩みでもあるのだろうかと、天使がシーヴァスの顔を覗き込んでも、シーヴァスは表情に何も表さず、語ってもくれない。
天使はシーヴァスと並びながら、隣にいる勇者のことを考えた。 一度は姿を消した彼を、再び勇者として連れ戻したことは正しいことだったのだろうかと。
勇者を導き、世界を救うこと。それがどういう意味か、答えは与えられてはいる。
『勇者となるべきものとの間に信頼を築き、彼らが勇者としての使命に目覚めるべく見守ること』
シーヴァスは、勇者としての使命を果たそうとしてくれている。
けれど、彼は一度その使命を放棄したはずだった。その時天使は、シーヴァスが自分の元を去った、という事実に耐えられなかった。だから、彼を探し出し、再び勇者としての使命を受けてくれるようにと頼んだ。
けれど、こうして再びシーヴァスが勇者として戻った今、天使は自分の想いに気が付きつつあった。
彼には、自分の勇者でいて欲しかった。ただ『世界を救う者』としての勇者でなく。
こんな想いが、勇者を導くという自分の使命に相応しいものだとは、思っていない。まして、この使命が果たされれば、地上を去らなくてはならないことは、分かっていることだというのに。
じっと見詰める天使の視線に、シーヴァスは気が付いたようだった。顔を向け、尋ねてくる。
「どうかしたのか?さっきから黙り通しで。」
視線に気付かれたと知って、慌てて目をそらす。
「いえ、何でもないです、けど。」
そう聞くと、シーヴァスは再び前を見て歩き出した。なんとなく気まずいような気分になってくる。
そのまましばらく、お互い特にこれといった会話もないまま歩いていたところに、天使を呼ぶ声が聞こえてきた。
「天使様―。」
声のする空の方に顔を向けると、天使を補佐する妖精のシェリーが二人の方へと向かって来ていた。
「シェリー…。どうかしましたか?」
随分と慌てている様子のシェリーに、天使が声をかける。
はあはあと息を切らしながら、天使の前までやってきたシェリーは、息も整えずに用件を伝えた。
「各地で事件が頻発しているんです。詳しい調査はローザが行ってるトコなんですけど、一度ベテル宮まで戻っていただけませんか?」
シェリーの言葉にうなずく前に、天使はシーヴァスに目を向けた。
天使の視線を受けると、シーヴァスがうなずく。
「…すみません、シーヴァス」
申し訳なさそうに言いながら、軽く浮かび上がった天使だったが、シーヴァスに軽く腕をつかまれて、そのまま空に止まる。
「シーヴァス?」
どうかしたのかと言葉を向ける天使を、シーヴァスはそのまま近くに引き寄せた。互いの顔がすぐ間近にある。
「すぐに…戻ってくるのか?」
ほとんど表情を変えないまま尋ねたシーヴァスに、天使は僅かに瞳を揺らしたようだった。
「ええ、なるべく、そうしようと思います。」
天使が答えると、シーヴァスはつかんでいた腕を放した。
「今日の内は、この先の街で宿をとっていることにするからな」
天使はシーヴァスの言葉にうなずくと、何故か後ろを向いているシェリーに声をかけ、空に去って行った。
その姿を見送りながら、シーヴァスは小さくため息を漏らした。
いずれ、二度と現われぬ彼女の背を見送ることになるのだろうかと。