■剣の天使 2■ エルスさま
国王とその家族が席につくと、管楽器が鳴り響き、武術の祭りは開かれた。
「今日も王妃様のお美しいこと。いいお天気でようございましたね」
「まったく。しかし驚きましたな。あのシーヴァス卿が出場なさるとは」
日陰の桟敷席で、貴族たちがささやきかわすのは、この試合にヘブロンでも指折りの大貴族フォルクガング家の若き当主シーヴァスが出るらしいという、かなりまゆつばものの噂だ。なにせシーヴァスはすばらしい剣の使い手でありながら、今までずっと実力を表に出そうとはしなかったのだから。
「夜会でお会いしたときにはことの真偽を確かめようと思っていたのに、先月のトーラス家以来、姿をお見かけしませんでしたからなぁ」
「でも、もう少しで真実が明らかになりますわ。ほら、参加者名が読み上げられますわよ」
競技場の中心に進み出た審判が、声高に戦士たちの名前を紹介する。
「……シーヴァス・フォルクガング卿!」
美貌の貴公子の名が叫ばれた瞬間、会場は驚きと好奇に沸いた。
信じられない思いで驚愕していたのは、観客だけではなかった。
「……シーヴァスが?」
優勝候補第一位のヴォーラス騎士団団長は、控えの間でそれを聞き、危うく飲みかけていた水を気管に入れるところだった。
(いったい何が起こったというんだ。あのシーヴァスが……)
「どうなさったのですか、レイヴ様?」
従者が訝しげに呼んでも、彼は答えずに眉をひそめて黙り込んだ。そういう顔をすると、周りの者たちが戦慄を覚えることに、彼はまったく気づいていない。教える者もいない。
「レイヴ」
うなるレイヴを中心に半径約2メートルの無人地帯ができていたが、それに頓着せずに歩み寄っていく人物の出現で、室内の空気はわずかながら和んだ。
「……シーヴァスか」
人々のさまざまな噂話の中心になっている、彼の古い友人である貴族の青年は、レイヴも含めた出場者たちが重い甲冑を装備している中にあって、ただ一人旅装のようないくぶん軽めの鎧を用意していた。
「何か言いたそうな顔をしているな?」
「まあな」
どういう心境の変化があったのか興味があったのだが、シーヴァスはレイヴの隣に座るとすぐに鎧の手入れなどを始めてしまったので、レイヴは質問の機会を逸してしまった。
(しかし……)
一心不乱に剣を手入れするシーヴァスの姿は、実に新鮮だが違和感を感じてしまう。レイヴの知る限りでは、彼がこれほどまでに真剣に何かに取り組んでいる事はなかった。
(ん?)
見るとはなしに隣の友人を観察していたレイヴは、もうひとつの違和感に気づいた。
「シーヴァス。その剣は?」
少し前、英霊祭で偶然顔を合わせたときに彼の腰にあったのは、確か柄に家紋をあしらった剣であったはずだが、今磨かれているのは別の新しいものだった。
「え? ああ、少し事情があってな」
「そうか」
話したくない事情らしいと察しをつけ、レイヴはそれ以上尋ねなかった。
やがて試合が始まり、控え室ではその間も人の出入りが頻繁に行われ、ときには負傷者が運ばれていったりもした。参加者数二十八名が、そうしてだんだん減っていく。
「シーヴァス・フォルクガング卿。次の試合です」
「ああ」
係の青年が呼びに来て、シーヴァスは手早く鎧を着けて立ち上がった。
「ではな、レイヴ」
そうして、戦いには不似合いな長い金髪を背に流し、競技場に続く出口をくぐっていくシーヴァスを、複雑な表情でレイヴは見送っていた。
(あの場にいたのは、ほとんど騎士団の者たちだった)
武器・防具の手入れをしながら、シーヴァスは例の剣を奪っていった青年を探していた。しかし、控えの間にいたのは胸にヴォーラス騎士団の紋章をつけた、一目で騎士とわかる青年たちばかりであった。
(騎士団の者だとして、なぜあんなまねをしたのかがわからない。私に恨みがあるのなら、堂々と決闘を申し込めばいいだけの話だ)
困ったことに、シーヴァスには誰かに恨まれる心当たりが多少……いや、かなりある。社交界きってのプレイボーイは、知らぬ間に罪を犯している。
(……だが、やはりあんな奇妙なまねをしなくてもいいではないか? まさか、大勢の観衆の前で私を嘲笑うのが目的なのか?)
いろいろ考えてみた結果、それが一番ありえそうだった。確か、あのとき謎の襲撃者は言っていたではないか。『俺に勝ってみろ』と。
「……そっちがそのつもりなら」
家宝の愛剣を奪われ、シーヴァスはかなり腹を立てていた。加えて誰かに貶められるなど、彼のプライドが許さない。
(誰が相手であろうと、絶対に負けはしない!)
めらめらと胸のうちで闘志の炎がたぎるのを、彼ははっきりと実感した。
そのときシーヴァスは、あの夜不思議な青年が虚空に消えていったことなど、すっかり忘れてしまったのであった。