■空からの贈り物■ きいこさま
「これは・・・?」
シーヴァスは不意に渡された花束を手に、彼にしてみれば甚だ不本意なことに、思わず呆然としてしまった。大輪の真っ赤なバラの花束である。
そしてそれを嬉しそうに渡した天使は、シーヴァスの反応に首を傾げて、ようやく何かに気づいたように「あ」と声をあげた。
「それ、シーヴァスからいただいたんでした!」
頓狂な声をあげて、うろたえている。いかにも、その通り。しかも今朝のことだったりする。シーヴァスは疲れた溜め息をついた。
「どうやら気に入らなかったようだな」
「ち、違います。間違えただけです。ああ、ごめんなさい」
慌てて花束を取り返そうとする天使の手をかわして、シーヴァスは花束を素早くうしろにかくした。
「・・・意地悪ですね」
「君ほどではないけどね」
「では、怒ってるんですね」
困り果てた顔をして、フレアは、うらめしそうにシーヴァスを見上げた。
「あの、これなんかどうでしょう?ティアが作ったクッキーなんですけど、
すごく美味しかったので、おすそわけです」
おそるおそる小さな包みを差し出して、お供えでもするようにシーヴァスのまえに、かざしている。
「あと、えーと、めずらしいコインとかもありますけど」
「それも勇者の誰かからの貰いものなのか」
苦笑気味な言葉に、フレアは、こくんと頷いた。
「はい」
「ちなみに誰からもらったのか覚えてるのかな」
「え?」
小さな包みとコインを見くらべて、
「えーと。ティアのクッキーと、コインは、グリフィンからで・・・」
「ふん、なるほど」
機嫌をそこねたらしいシーヴァスが、そっぽを向いてしまったのを見て、フレアは、きょとんとなる。思いつくことといえば、バラの花束のことだけで、とんでもない失敗をしたものだと、かなりうたえている。
このところ勇者から呼び出しを受けることが多いうえに、出かけていく度に、なにかしら物をもらったりしているので、どうも整理しきれないのだ。
「すみません。間違えてしまって・・・」
しゅんとなっているフレアを振り返って、シーヴァスは苦笑した。やはりどこか、ずれている、この天使は。間違える以前の問題だろう。贈りものを勇者から勇者へ横流しするのが当然だとでもいうのだろうか。
いや、それより何より問題なのは、どうして他の贈り主は覚えているのに花束の贈り主をうっかり忘れていたのか、だ。
「あの、シーヴァス・・・?」
本気で機嫌を損ねて黙りこんでいるシーヴァスに、どんな言葉をかければいいものか、さっぱりわからないフレアは、うろたえた表情で、心配そうにシーヴァスの顔を覗きこんでいる。
「ああ。わかったから、もう・・・」
帰れといいかけた言葉が口のなかに転がった。不機嫌な顔のままフレアを見た瞬間、その空色の瞳と視線が合った。それだけで、言葉がとまる。
「・・・もういい」
ぶすっと、あきらめたような溜め息とともにつぶやいた。
「あ、よかった。許してくださるんですね」
とたんに、ぱっと嬉しそうな笑顔でいうと、手に持っていた小さな包みとコインを、シーヴァスの手にわたして、フレアは明るい声でいった。
「じゃ、これとこれ置いていきますから、わたしは、これで帰りますね」
「えっ?」
思わずあがった声は正直だ。シーヴァスは自分の声に驚いたようにそっと眉をしかめた。まったく冗談じゃない。フレアは、帰りかけた姿勢のまま、静かに翼をひろげながら、怪訝そうにシーヴァスを見上げている。
「あの、何か・・・?」
やっぱり贈りものが気に入らないのかしら?とか思いながら問いかける。
「・・・ああ。コインは持って帰ってくれないか」
「そうですか?残念です」
しぶしぶコインを受けとって、大事そうにどこかへしまいこむ。その仕草が、なんとなく腹立たしくて、シーヴァスは今度こそ盛大に眉をしかめた。
「シーヴァス・・・?」
それを間近で見てしまったフレアは、硬直している。
「君は、この花束は、もういらないらしいな」
シーヴァスの言葉に、弾かれたように顔をあげると、フレアは、とっさに花束のほうへ手をのばした。忘れていたわけじゃなかった。シーヴァスが、ずっと後ろ手に花束を隠しているので、もう絶対に返してくれないものだと思いこんでいただけだ。
「くださるなら、いただきたいです!」
シーヴァスのうしろへ手をのばそうとして、思いきりシーヴァスのそばに寄ってしまう。フレアの目には花束しか見えていなかったし、何かに夢中になると他が見えなくなるのは、この天使のくせだった。
そうと知っていて、誘っておいて、シーヴァスは狙った獲物をつかまえるようにフレアを抱きしめた。シーヴァスの手から小さな包みが落ちる。
「あ、クッキーが・・・」
床に落ちたクッキーを見つけて抗議するようにシーヴァスを見て、瞬間、フレアは息をとめた。いつのまに、こんな近くに?そんな表情でかたまったまま、シーヴァスと見つめ合う恰好になる。
花束はフレアの翼に触れて、カサカサ音をたてていた。
「ああ、あの、クッキーが落ちて・・・」
「そうだな」
正直いって、いまのシーヴァスには、クッキーなど、どうでもよかった。
はっきりいって花束も邪魔以外の何物でもなかった。ので、バラの花束すら面倒になって床に捨てた。パサッと音がして、花びらが散らばった。
「あ、あの・・・」
焦った声をあげて、ようやく視線をそらしたフレアは、にわかに暴走しだした心臓を鎮めるのに忙しい。顎にシーヴァスの指先が触れたかと思うと、半ば強引に顔を上向かせ、至近距離で見つめてくる。はしばみ色の瞳がまぶしくて、心臓が痛い。
「は、離してください・・・」
掠れたような声しかでなかった。シーヴァスが怖かった。真顔だし、にこりとも笑わない。無表情で、なにを考えているのか、さっぱりわからない。
大切な花束は床に散らばっているし、ティアからもらったクッキーも、袋のなかで砕けてるかもしれない。
「フレア」
不意に名を呼ばれて返事をしようとした瞬間、自然な動作で顔が近づいてきて、唇がフレアの唇に触れた。軽く触れて離れる。そしてもういちど強く抱きしめられた。なぜか知らないがシーヴァスは怒ってるらしい。その腕から、あるいは唇から伝わってくる波動がある。
「あの・・・」
身じろいで離れようとして動けないほど強く肩をつかまれる。翼が軋んで痛みすら覚えた。シーヴァスは無表情のままフレアを抱きしめキスをした。深い口づけに息がとまりそうになる。やさしくない、攻撃的で、どことなく不躾で、思いやりの欠片もない。
シーヴァスの腕が腰をとらえて離さない。長い口づけから解放されたかと思うと、その唇が頬から首筋に降りてくる。
「や・・・!」
胸に触れてきた手に驚いて、この天使にしては敏捷な動きで、一瞬の隙をとらえて、シーヴァスの腕を突き放した。乱れた衣裳を合わせながら、あとずさるように離れていく。それを見て、ようやくシーヴァスは我に返った。
「・・・・・」
妙にしらけた空気が漂い、互いに見つめ合い、はじめに視線を外したのはシーヴァスだった。数々の女性遍歴を誇る彼にしては、あまりにも拙いやり方で、自分で自分が信じられない気分だ。しかも途中から記憶がない。
「・・・まいったな」
「すみません」
シーヴァスの言葉を遮るようにいって、フレアはいった。
「怒ってるんですね。すみません」
「・・・いや、すまない」
他に言葉が浮かばなくて苦笑する。その表情がまた皮肉に見えて、フレアは、首をすくめた。何が何だかよくわからないが、とにかく怖いので謝る。
「ごめんなさい。でも、でも、こんなのは、いやです」
「・・・それはそうだろうな」
他人事のようにいうシーヴァスは、実は、かなり困っていた。自分が何に対して苛立ったのか、床に散らばったものを見れば証拠となって残ってる。
クッキーと花束。そして天使の懐に大事そうにしまわれたコイン。ずいぶんガキくさい理由じゃないか?
「悪かったな。もう帰っていい」
照れ隠しのむすっとした表情でいうと、天使に背を向けている。
「あ、はい。帰ります」
乱れた衣裳のまま翼をひろげて、やはり動揺しているのか、慌てて窓から飛び立とうとして、こけそうになる。その物音に振り向いたシーヴァスは、フレアの、その様子を見て、苦笑した。
「ちょっと待て」
声は、焦っている。きょとんと待っているフレアのそばにいって、乱れた衣裳に手をかける。とたんに、びくっとなる仕草は、少しシーヴァスの胸を痛めたが、そんな表情は見せない。
「このまま帰したら、妖精どもに何いわれるかわかったもんじゃない」
「・・・・」
自分の姿をしみじみ見て、その衣裳を丁寧になおしてくれるシーヴァスの手を眺めている。そして、フレアは、ふんわり微笑んだ。
「よかった。いつものシーヴァスですね」
「・・・そういう顔を、するもんじゃない」
「えっ!はい」
変な顔だったかなと、またもや動揺して、
「・・・すみません。なんか、きょうはダメですね」
しゅんとして溜め息をついている。
「そうだな」
訂正もせず、言葉とは裏腹なやさしい声で呟くと、シーヴァスはフレアにそっと口づけた。驚いて後ずさると、フレアは、困った顔でいった。
「もうっ!シーヴァスって、わかんないよ。もう帰ります」
動揺したまま窓枠に手をかけて、いまにも飛び立とうとしている。それを見て、シーヴァスは軽く払うように手を振った。
「気をつけて帰るんだな」
つくづく態度と言葉が一致しない。シーヴァスは、もう天使を見ようともしなかった。床に、クッキーの包みとバラの花束が転がったままだ。それを拾いあげようとして、手がとまる。振り返れば、フレアがいた。
「帰ったんじゃなかったのか」
「・・・それ、いただいていきます」
にっこり笑って、床の花束を拾いあげて大切そうに腕に抱えると、まるで逃げるような勢いで、窓から空へ飛びたっていく。ひらひらと花びらが舞いながら落ちてくる。なにも、そんなものを持っていくこともないだろうにと思いながらも、顔がゆるむのは、しかたない。
そして、その一方、ペテル宮に着くころには花びらが散ってしまいそうな花束を抱えながら、そもそもの間違いは、贈り物の貰い主に貰った贈り物を返したことなのだから、今度からは間違えないようにしなくちゃと心に誓うフレアであった。