■苦手なもの■ きいこさま
「だ、だめです。シーヴァス」
怯えきった声をあげて、フレアは後ずさった。
「やだ。近づかないで、おねがい・・・」
「何をいってるんだ」
シーヴァスは呆れた顔をして、そんなフレアを見上げている。言葉だけを聞いていると、なにやら色っぽくないこともないが、いまは戦闘中である。
目のまえには、このところめっきり強さを増したモンスターが、それこそうじゃうじゃと蠢いている。たしかに、臭いは強烈だ。
「どうしましょう」
消え入りそうな声で、この天使は、どうやら本気で困っているらしい。
「あ、ああ、どうしましょう」
「・・・戦うのは、私だ。うしろで見ていればいいだろう」
ほとんどパニック状態のフレアを背で庇って、剣をかまえる。それでも、モンスターは強い。戦うのはシーヴァスだが、天使が魔法で補助しなければかなり苦戦するだろう。
「そういうことじゃなくて、ちょっと、ほんとに・・・」
モンスターが間合いを詰めてくるごとに声が小さくなっていく。と、突然なにかに気づいたように、フレアは叫んだ。
「ごめんなさい!」
「え?」
突然の声に振り返ったときには、天使の姿は、どこにもなかった。途端に襲いかかってくるモンスターを剣で受けとめながら、空にフレアをさがしたが、いない。おい、なんだ?まさかと思うが・・・
「逃げたのか」
まったく信じられん天使だ。内心苦笑しながら、それでも、一抹の不安を感じたシーヴァスは、とりあえず目前の敵を屠ってやろうと、剣を片手に、じぶんから敵のなかへ飛びこんだ。
無茶な戦い方をした。勝ったことは勝ったが、全身傷だらけだ。
ここでまた先刻のようなモンスターが現れたら、一撃でやられてしまうに違いない。で、あの天使は、どこへ行った?シーヴァスは、折れそうになる体を見栄だけでまっすぐ支えて、きょろっと辺りを見まわした。
いない。まさか天界まで帰ったんじゃないだろうな。
「シーヴァス!」
とたんに空から声が落ちてきて、シーヴァスの目のまえに光のかたまりが降りてきた。というより、ぶつかってきた。
「ごめんなさい。大丈夫ですか」
ぶつかった反動で、ついに体をまげたシーヴァスは、あまりの痛みに声が出なかった。フレアが心配そうに顔を覗きこんでくるのに気づくと、痛みをこらえて体をおこして、尚のこと不機嫌な顔をつくってみせた。
「君こそ、大丈夫そうだな」
「はい。シーヴァスは痛そうですね」
にこやかに言い放って、かるく呪文を唱えて癒しの力をそそいでくる。
みるみるうちに癒されていく。この天使の力は、日増しに強くなっているようで、これほどの傷は、ほとんど一瞬のうちに癒せるようになっていた。
「ほんとにすみません。無事でよかったです」
これの、どこが無事だというのだろう。しかし天使がいないと戦闘が辛いなどと認めたくはないので、シーヴァスは黙っている。
「あの、怒ってるんですか?怒ってますよね」
しゅんとしながら視線を外して、フレアは溜め息をついた。そして不意に思い切ったように顔をあげて、重大な秘密を明かすような真剣なまなざしでシーヴァスを見つめると、ゆっくりといった。
「わたし、あの種族のモンスターは苦手なんです」
一言いってしまえば、あとは同じとばかりに喋りはじめる。
「なんていうか、凄く臭いし・・・。なにより怖いんです。見てください。
ほら、まだ鳥肌がたってるでしょう?」
身震いしながら衣裳をまくって白い透き通るような肌をシーヴァスの目のまえに晒してみせる。たしかに鳥肌になっているが、それより、細くて華奢な腕に思わず視線がとまってしまって、シーヴァスは苦笑した。
「要するに、敵前逃亡したわけだな」
思ったこととは別のことをいって視線をそらした。
「敵前逃亡。そうですね。ああ、そういうことになるんですよね」
はじめて気づいたようにショックを受けて、フレアは、うろたえた。
「すみません。これからは、がんばって慣れるようにします。いやだけど、慣れないと。怖いけど・・・」
さきほどのモンスターを思いだしたのか、顔をしかめて目を瞑っている。
そんな天使を見ながら、シーヴァスは溜め息をつくようにいった。
「まったく。そんなことだろうと思ったがな」
逃げたのだろうと思いながら、もしかしたらフレアの身になにかあったのかもしれないと一抹の不安を感じた、あの瞬間を、シーヴァスは、ほろ苦く思いだしながら、フレアの腕をつかんだ。
「えっ?」
うつむいていたフレアは、急に腕をつかまれて、驚いて顔をあげた。
「・・・いっておくが」
そのままフレアを引き寄せて、じぶんの腕のなかにつかまえて、
「簡単に素肌を見せるものじゃない。とくに男のまえではな」
白い衣裳がめくれたまま剥きだしになっているフレアの細い腕に、そっと指を這わせて、二の腕の、やわらかな肌に口づけた。
「あ・・・!」
びっくりして手を引っ込めると、フレアは真っ赤になっている。
「す、すみません。・・・気をつけます」
慌てて衣裳をなおして、シーヴァスの腕から離れようとする。が、つよく抱きこまれて動けなかった。
「シーヴァス、もう離してください」
どきどきして胸が痛いので、声も囁くように小さくなる。それがまた耳に心地よく、シーヴァスは苦笑した。まるで意識していないのだろう天使の、仕草や表情や声に、こんなにも誘われてしまう。
フレアの首筋に手をすべらせて、顎をささえて上向かせると、その唇に口づけた。とたんに震えた肩を、もう一方の手でおさえつける。
「ん・・っ」
触れるだけで離そうと思っていたのに、ふいに漏れた吐息に誘われて深く唇をかさねた。溺れるものは藁をもつかむ心境でか、フレアは必死になってシーヴァスの腕にしがみついている。
口づけながら髪を撫で、翼を避けながら腰に手をまわして、シーヴァスはようやく唇をはなした。天使が、ほっと息をついて、脱力したように身体をあずけてくる。相変わらず空気のように軽い。
「フレア」
ささやいて、抱きしめた。どちらのものかわからない鼓動が響いている。うつむいている天使を仰向かせて、もういちど口づけた。抵抗しないことに気をよくして、深く重ねていく。そして、たぐりよせた白い衣裳からそっと手を差しいれて、素肌に触れた。
その瞬間、びくっと体を揺らして、フレアは凍りついた声で叫んだ。
「は、離して!」
突然の拒絶と鋭い声にびっくりして手をとめて、フレアを見ると、異様に怯えた顔をして、シーヴァスの腕を強く突き放した。
自慢じゃないが、ここまできて拒絶されたのは、はじめてだ。否、そんなことより、こんなことで嫌われるのは真っ平ごめんだ。ここはひとつ以前のように冗談ですまそうかと皮肉な笑みをつくった。そのとき、
「うしろ!」
フレアの鋭い叫びとともに、おぼえのある気配が背後でざわめいた。
「!」
振り返れば先ほどと同じ種族のモンスターが、うようよと近づいてくるのが見えた。思わず反射的にフレアを庇って、剣をかまえる。
そのフレアの感触が、すでに、ない。
「・・・おい」
うしろを見なくともわかる。襲ってくるモンスターを剣で受けながら口端で、ちっと息を鳴らした。さっき「がんばって慣れる」とかいってなかったか?これから、こいつらが出てくるたびに、こうなるわけか。
それより、なにより、さっきのあれは千載一遇のチャンスというやつではなかったか?そんなことを考えると、剣をふるう手にも力がこもる。
シーヴァスは、敵を屠りながら、そんなことを考えている自分が可笑しくなってきて、笑った。
このモンスターを倒せば、また空から天使が降りてくるだろう。その時のフレアの情けない顔を思うと、それが見たくてたまらなくなる。
重傷だな。
自嘲気味に笑いながら、それもまた楽しいと思うシーヴァスであった。