■LONG WAY HOME■ BY.森生
ルーチェはその夜、夢を見た。
なつかしい匂いのする場所。
明るく輝く光りは、空高くから絶えることなくふりそそぎ、穏やかな風が頬をなでる。遠く霞む地平まで柔らかな緑の草原が続いている。
懐かしい、彼女の生まれた場所。今はもう、還ることのできない場所。
『ああ・・・この場所・・・』
彼女は深く息を吸い込む。頭を天空に向けて上げ、目を閉じて胸の奥深くまで息を吸い込む。
『ふふっ』
楽しくなって彼女は草原を軽やかに歩きだす。靴は脱いだ。裸足で少し冷たく湿った草の上を歩いていく。可憐な花がところどころに咲いていて、彼女はときどき屈み込んで花の香りを楽しんだ。歩いても歩いても疲れることがなくて、もし、今、彼女の背中に翼があれば、なにもかもが昔と変わらないものだったろう。
気のむくままに歩き続けてきた彼女は、ふと自分の歩いてきた方を振り返る。はるか彼方まで広がる草原。見渡しても、見渡しても、永遠に続くかのような天空の草原。
ルーチェは、大地を抱き締めるように、草原に寝転んだ。天使だったころ、天界にある草原は彼女の大好きな場所だった。インフォスに降りてから、なかなかこうした広々とした場所へ出掛けることができないのは残念だった。
しばらくそうして、ひんやりした大地の感触を十分に感じた後、ルーチェは起き上がる。座ったまま、風の音に耳を傾け、髪をなでる優しい感触を楽しむ。ふと気が付くと、同じように草原を歩いてくる人影が見えた。
『誰かしら・・・』
ずっと見ていると、相手もルーチェに気がついたようだった。
お互いに姿を認めて意識しながら、ルーチェも動こうとせず、相手も歩くペースを崩そうとしなかった。やがて姿がはっきりしてきてそれが自分と同じくらいの年齢の女性だと気づく。長い髪がゆるやかに波打ち、意志の強そうな瞳にはきらめく光が見えた。
「・・・こんにちわ」
やっとお互いに声が届くほど近くにやってきた彼女に声をかける。
「こんにちわ。」
にっこりと笑って彼女が応える。
「となり、いいかしら?」
「どうぞ」
彼女はルーチェの隣に座り込んだ。しばらく二人、何も語らず広い草原を眺めていた。
「ね、名前、聞いてもいい? 私はレインっていうの」
しばらくして、彼女はルーチェの顔を覗き込むようにしてそういった。
「私は、ルーチェ。 レインは、どこから来たんですか?」
「わからないけれど、気が付いたらここを歩いていたの。
でも、ここはすごく懐かしい場所に似ているわ。
私が、生まれた所にもこんなところがあったの」
そう言って、レインは身体を後ろにそらせ、手をついて支えると深々と息を吸い込んだ。ルーチェはその様子をほほ笑んで見ていたが、自分も同じように息を吸い込む。
「私も、同じです。
この場所は、私がとても好きだったところと、とても良く似ています。
もう、帰れない場所ですけれど・・・・すごく大好きだった所と」
「あなたも? 私も、自分が生まれたところにはもう戻れないの。
でも、いつか、時の環が巡った先には、魂が帰っていくかもしれない。
そのときは、一緒に行きたい人がいるけれど・・・」
少しはにかんだような顔をしてレインは笑った。
「・・・そうですね、私も。
彼と一緒に帰りたい・・・」
ルーチェの脳裏にはシーヴァスの姿が思い浮かんだ。
「彼? そうなんだ、好きな人がいるのね。
私たち、とても似ているみたいな気がするわ。不思議ね。
初めて出会ったのに」
「・・・そうね。なんだか、不思議な感じがします。
・・あなたのこと、聞かせてください。」
「ええ。そのかわり、あなたのことも教えて、ね? ルーチェ」
風が吹く中、二人はとめどなくさまざまなことを話した。
生きている間は戻れない故郷のこと。愛する人のこと。出会ったさまざまな人。長かった旅。今の暮らし。随分と長い間、誰にも語ることのなかった、自分の中の物語。そう、たとえ愛する人にでも、語ることのなかった話を。
心が、軽くなったような気がした。
「・・・そろそろ、帰らないといけないかな。
随分と長くおしゃべりしたものね」
「ええ・・・。そうですね」
ルーチェはもう一度、自分を取り巻く広い草原を見渡した。懐かしい世界。でも、自分が今、帰りたい場所はここではない。
「・・・大好きだった場所ですけれど、懐かしい場所ですけれど・・
今の私が帰りたいのは、違う場所なんですね」
「ええ、そうね。
帰りたいのは・・・・・・のいるところ・・」
レインの唇が誰かの名前を語ったが、聞き取れなかった。突然に風の音が遠のいて、ルーチェは自分の意識が夢の世界から引き戻されていくのを感じていた。
目が覚めたとき、レインは夢の中で出会った女性のことを思い出していた。なんだか懐かしい雰囲気のある人だった。
「・・・また、会えるかしら・・・会いたいな、夢の中でもいいから」
そう呟く。すると、レインは徐にぎゅっと抱き締められて驚いた。
「誰に、会いたいって?」
傍らで眠っていたはずのシーヴァスは実はもう目を覚ましていたようだった。レインを自分の方へ向直させると、その顔をのぞき込む。
「夢の中で誰に会っていたんだい?」
「焼きもちやいてるの? シーヴァス・・」
レインは苦笑して彼の唇にそっと触れた。
「・・・そう、なんていうのかしら、とても懐かしい空気の人だったわ。
きっと、彼女はもう一人の私なんじゃないかしら。
遠い世界で暮らしている、もう一人の私・・・」
レインの声はだんだん、ささやくように小さくなっていく。
また、会えるかしら。
レインは抱き締めるシーヴァスの腕の中でもう一度目を閉じた。