■天使が舞い降りた夜■ BY.森生
「お疲れさまっしたー!」
スタッフの声が響く中、3人はスタジオを後にした。大きく伸びをしたグリフィンが、レイヴに向かってこれからどうする? などと尋ねている。飯でも食いにいかねえか、と言う話らしい。レイヴがシーヴァスを振り向いて呼びかけた。
「お前はどうする?」
シーヴァスは肩を竦めて、そんな事を聞くなと言いたげな顔で答えた。
「あいにく、予約が入っていてね。」
「なんだよ、また女かよ、おさかんなこった」
グリフィンがくだらなさそうにそう言う。やっかむなよ、と言いたげにシーヴァスはグリフィンをねめつけると
「悪いが、つるむのは好きじゃないんだ、食事なら二人で行ってくれ」
とそう言った。甘いマスクと飛び抜けたセンス、類を見ない個性で3人は今やメディアを席巻するスターだった。別段グループを組んでいる訳ではないが、事務所が同じだったり、年代が揃っていたりでセットになることもしばしばだ。それぞれにデビューの経緯も異なるし、性格もまったく異なるが、そういう事もあって他のタレントよりは親しいつき合いをしている。が、それもあくまで程度の問題ということで、じゃれあったりなれ合ったりするような間柄ではない。
せいぜい楽しんでくるがいいや、というとグリフィンはさっさとシーヴァスに背を向けて歩き出す。レイヴはというと、本気か冗談かわからないような顔で
「下手な写真などとられないように気をつけろよ」
と言うとグリフィンの後を追って歩いていった。シーヴァスは、苦笑すると二人とは逆を向いて歩き出す。
こんな商売は有る意味、自分を切り売りしているようなものだ。嘘の笑顔で虚飾の栄光を手に入れる。嘘は膨れ上がり、本当の自分はすり減っていくばかりだ。嘘にまみれたものであっても、ひととき女の温もりを手にして何が悪い? もちろん、後腐れはないように、それは鉄則だ。別れ際さえ綺麗なものなら、スキャンダルも自分の価値に華を添えるものにしかならない。
駐車場にとめておいた愛車に乗り込むとエンジンをふかす。時計の時間を確認する。約束の時間には間に合いそうだ。フレンチレストランでの食事。たあいもないおしゃべりに付き合わされるのは閉口するが、それもサービスのうちだ。其の後はせいぜい楽しませてもらうとするさ。
郊外のベイエリアにあるスタジオから街の中心部へ戻る道を車で走りながら、シーヴァスは遠くに見える街の明かりをぼんやり見つめていた。夜空の星を消すかのように、明るい夜の街。ネオンの光は街から夜の闇を消してしまったようだ。だが、そのぶん、街に落ちる影の色は濃くなったことだろう。
逼塞した時代。モノは溢れ、欲しいものは何でも手にすることができる。だが、何でも手に入るがゆえに、本当に自分が欲しいものが何であるのかが見えない。・・・自分の欲しいもの。自ら望んでこの世界に入ったわけではないから、この世界において自分が何を求めているかシーヴァスには見えない。金も名声も、手にしてみればさして意味のないものだと思うようになった。すべてがたやすく手に入るがゆえに、価値が見いだせない。本当に欲しいものはいったい何なのだろう? そうして、そんなふうに思いながらなぜ自分はここにいるのだろう? 自分は夜の街をどぎつく照らすネオンのようなものだ。明るく輝き、人を引き寄せるがその影は闇より濃く、日の光の元で見る本当の姿は色褪せている。
そんなことをぼんやり考えていたせいだろう、反応が遅れた。
突然、シーヴァスの視界に白いものが見えた。ふわりと緩やかな動きで道に飛び出したそれを、咄嗟にブレーキを踏み、ハンドルをきってかわそうとする。甲高いブレーキの音とタイヤがアスファルトを滑る音がして、車が路肩に乗り上げた。低く舌打ちをする。ぶつかったか? 衝撃は感じなかったが。さすがに、手に汗がじっとりと滲む。深呼吸をして後続車に気をつけながら、車を降りる。後ろからやってきた車たちは、シーヴァスの車を意に介することなく街へと流れていく。それを半ば訝しく思いながらも、シーヴァスは白いものが何であったのか、車の前にまわる。だが、そこには何もなかった。車の様子を見てみるが、ぶつかった痕跡はない。
・・・見間違いか?
だが、その時車の後部に白いものが見えた。シーヴァスは慌てて車の後ろへ向かう。
・・・なんてことだ・・!
人が倒れていた。20才前後の女性だ。質素な白いワンピース。だが、シーヴァスが見た白いものは、それではないようだった。
ハロウィーンの季節でもあるまいに。
彼女は背中に白い翼をつけていたのだ。シーヴァスは地面に膝をつくと、彼女の首筋に手を当てる。息はあるようだ。抱き起こして良いものかどうか迷ったが、できれば警察沙汰にはしたくない。出血もしていないようだ。どこか折れている様子もなさそうでもある。せっかくの仮装の羽根が折れたようではあるが。シーヴァスはそっと彼女を抱き起こすと呼びかけた。
「君、しっかりしたまえ・・・君・・!」
だが、一向に目を開ける様子がない。シーヴァスは意を決したように彼女を抱き上げると、車に乗せた。翼をなんとか外したかったが、どうなっているのか取り外せない。仕方なく、背中が痛くならないようにとシートを倒して俯せに寝かせる。溜息をつきながら今日の約束をキャンセルするために、携帯電話を取り出した。呼び出し音を聞きながら、シートに寝かせた彼女の顔を見つめる。目を閉じてまるで眠っているかのようなその顔は、美しかった。
救急病院の待合室で彼女の検査が終わるのを待ちながら、シーヴァスはこれからどうしたものかと考えていた。マネージャーに連絡した方がいいのだろうが、またくどくどと文句を聞くのも煩わしい。だいたいからして、向こうから飛び込んできたようなものなのだから、こっちは運が悪かったと言ってもいいだろう。けがをしていたら気の毒だとは思うが、さして自分の仕事に対する影響については切羽詰まったものを感じないあたりが、冷めていると言えるかもしれない。
しばらくそのままぼーっと待っていると白衣の医師が扉を開けて出てきた。シーヴァスは立ち上がって医師の元へ向かう。
「外傷はありません。打撲もないですし、骨折もなし。」
医師の言葉にシーヴァスは首をかしげる。
「では、どこが悪いんだ?」
「悪いところはありませんよ、至って健康体です。」
可笑しそうに医師がそう言う。その態度に眉間にしわを寄せてちょっとむっとしながらシーヴァスは医師に言う。
「だが、呼んでも気がつかないんだぞ?」
その言葉に答えた医師の言葉に、シーヴァスは倒れそうになってしまった。
「眠っているんですよ、深い睡眠状態なんです」
目が覚めるまで病院で預かっていようかと言われ、どうしたものかと思ったが一旦彼女のいる救急室へ様子を見に入った。ベッドの周りを片づけている看護婦が、シーヴァスに気づいて視線を送ってくる。しかし、それよりもシーヴァスはベッドの上の彼女に目をとめていた。
「おい」
視線は彼女にいったまま、看護婦に声をかける。ぞんざいな呼びかけにもかかわらず、看護婦はにこやかになんでしょう?と答えた。
「検査したんだろう? なんであれをとらないんだ? またご丁寧に背負わせたのか?」
それは、彼女の背中の翼だった。レントゲンだのなんだの撮ったんだろうに、どうしてあの仮装をとってやらないんだ? しかし、看護婦はシーヴァスの言葉に怪訝そうな顔をした。
「なにをですか?」
「なにって・・・翼だ、背中にあるだろう。」
「は?・・・どこにあるんですって?」
からかっているのかと、看護婦の顔を見るが、とてもそんな風には見えなかった。慌てて、ベッドに横たわる彼女を見る。やはり、ある。翼がある。シーヴァスはベッドに近づくと、翼に触れた。触れたという感覚はある。看護婦を振り向くが、彼女はシーヴァスの行動を怪訝そうに見つめているだけだ。そっとシーヴァスは眠る女性の背中の下に手を忍ばせた。翼の根本をたどっていく。そうして、ある事実に気づいてシーヴァスはその手を慌てて戻した。つながっている。翼は、彼女の背中につながっているのだ。看護婦を振りむくと、彼女はもう、興味なさげに自分の仕事に戻っていた。シーヴァスは
「預かっていようかと言われたが、怪我もないようなら、連れて帰ることにするよ」
と看護婦に告げると、ベッドに横たわる女性を抱き上げる。
「先生に言ってきますから、少し待ってください、手続きもありますし」
看護婦がそう言って病室を慌てて出ていく。シーヴァスはしかしそんなものを待つ気などさらさらなく、そのまま病室を出た。駆けるように病院を出て駐車場へ急ぐ。背後で看護婦が甲高い声で呼ぶ声がするが、振り向きもしなかった。来たときと同様に、彼女をシートに寝かせ車に乗り込む。
エンジンを暖める間も与えずアクセルを踏んで車を走らせる。家へ向かいながら、シーヴァスは、自分が子供のころのようにどきどきしているのを感じずにはいられなかった。まるで冒険の旅に出かけるような高揚感。傍らの女性は眠り続けている。彼女はいつ、目覚めるのだろう。そして、何をシーヴァスに与えてくれるのだろう? 乙女の姿をした、この天使は?
一人には広く、二人には少し狭いベッドで、シーヴァスはその夜、天使を抱いて眠った。目が覚めたとき、彼は自分をのぞき込む不思議な色の瞳に出会う。白い翼を背後に震わせながら、はにかんだような、嬉しそうな笑顔で彼の目覚めを迎える天使を見たとき、シーヴァスは確かに何かが始まったのを感じた。